初逮捕から裁判まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 02:20 UTC 版)
4月7日、同施設保母の山田が殺人容疑で逮捕された。しかし、検察は証拠不十分で不起訴とし、釈放。山田は不当な人権侵害であるとして国家賠償請求訴訟を起こす。 不起訴に対して、被害者男児の遺族が検察審査会に不服を申し立てる。検察審査会が「不起訴不当」の議決を出したため、警察による再捜査が始まった。その後、検察が行った再捜査時に園児から「女性が園児を連れ出すのを見た」という証言が得られたとして、1978年に山田は再逮捕、同年殺人罪の容疑で起訴された。 また、国家賠償請求の裁判で保育士のアリバイを証言した当時の園長・荒木潔と山田の同僚も、園児の証言に矛盾するアリバイ証言は偽証として、偽証罪で起訴された。山田を含めた3人は公判開始前に保釈されている。山田は、取調べで「やってないならアリバイを証明しろ、証明しないならお前が犯人だ、証明できたら釈放してやる」等と言われている。 1980年、園児の女児が「自分を含めた5人で浄化槽の近くで遊んでいた際に、マンホールの蓋は少し開け、それから横の方に動かして全部開けた。私が、被害者女児の手を引っ張ったら浄化槽に落ちた後、マンホールを閉めた。その時に被告人はその場にいなかった」と、マンホールを園児が複数で動かすことによって開け閉めができたことと、一人目の被害者が殺人事件ではなく事故であったことを供述。 1985年、一審の神戸地方裁判所は無罪判決を出すが、検察はこれを不服として控訴。1990年、大阪高等裁判所は無罪判決を破棄し、地裁へ差し戻す判決を下した。山田側はこれを不服として上告。1992年、最高裁判所は上告を棄却し、神戸地裁への差し戻しが確定した。 1998年、差し戻し第一審の神戸地裁は再び山田に無罪判決を出すものの、検察は再び控訴。1999年、大阪高裁は山田に対する無罪判決を支持し、検察側の控訴を棄却。その後、検察は10月8日に最高裁への上告を断念。事件発生から25年が経過しようやく山田の無罪が確定した。事件当時22歳だった山田は、この年には48歳になっていた。アリバイを証言したことが偽証罪で起訴された園長と同僚も同年11月4日に無罪が確定した。
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