戦後の軍事裁判における扱い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 01:46 UTC 版)
「南京事件」の記事における「戦後の軍事裁判における扱い」の解説
戦後の戦犯裁判の経緯については「極東国際軍事裁判#戦犯裁判までの経緯」を参照 1945年6月から1947年3月にかけて敗戦国日本の戦犯裁判にあたって連合国戦争犯罪委員会極東小委員会と中華民国は日本人戦犯合計3147人を選定し、GHQに提出した。1945年冬、国民政府は戦争犯罪処理委員会を設立した。1946年2月15日に国民政府国防部軍事法廷(南京軍事法廷)が成立した。南京での暴行虐殺事件の「主要罪犯」として選定されたのは第6師団長谷寿夫だった。谷は1946年2月に東京で逮捕され、10月南京法廷に送られた。
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