中国人の証言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 15:04 UTC 版)
戦後の戦犯裁判での証言については「南京事件 (代表的なトピック)#戦後の軍事裁判における扱い」を参照 東京裁判で中国人証人に対しての反対尋問は行われていないとする説があるが、実際には中国人証人5人の内、被告人側弁護人は虐殺の生存者1名を含む3人に対し反対尋問を行っている。残り2人に対する反対尋問を被告人側弁護人は放棄したが、その2人はいずれも虐殺の生存者である。また、多数の被害を受けた中国人から多数の口供書が裁判に提出されている。これについて、畑俊六(松井石根の後任の中支那派遣軍司令官)は、自身は南京事件について「夢にも考えていなかつた。南京に到着してみても、なんの痕跡もなかつたし、人の耳にも入つていない。ところが、裁判が始まると虐殺の証拠が山のように出された。」と述べて、自身が頬被りしていた責任はボカしながらも、「いまにして思えば、虐殺も若干行われたことを私も認めている。掠奪もたしかに行われていた。」として、これらの証拠が全体としては偽りでないことを事実上認めている。実際に、彼の日誌の1938年1月29日の箇所では、「支那派遣軍も作戦一段落と共に軍紀風紀漸く頽廃、掠奪、強姦類の誠に忌はしき行為も少からざる様なれば、召集予后備役者を現役兵と交代せしめ、又松井大将も現役者に、又軍司令官、師団長等の召集者も逐次現役者を交代せしむるの必要あり」と書かれている。 李秀英 - 松村俊夫は、李について「証言のたびに内容がクルクル変わるのは、実体験でない証拠だろう」と著書に書き、名誉毀損に当たるとして民事裁判を1999年9月に起こされた。東京地裁は判決で「(松村には、李が)嘘を言ったと信じる相当の理由はなかった」と述べ、松村に150万円の支払いを命じた。2005年1月に最高裁上告棄却となり原告の勝訴が確定した。 夏淑琴 -新路口事件の証言者。これに対し、東中野修道は事件発生時間、本人の年齢に関する情報、一家の人数等につき不合理な点がみられるとして、偽の証言と主張し、さらに事件の被害者と夏淑琴 は別人と主張した。夏は中国と日本で東中野に対して名誉毀損訴訟を起こした。東中野自身の誤訳により不合理な内容になっている事などが明らかになり、日本では最高裁まで争われたが、原告が一審から最高裁まで全て勝訴した。
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