死傷者数について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 04:26 UTC 版)
旅順陥落後の基本的に民間人及び戦闘終了後の捕虜、戦闘放棄した者の死傷者の数については諸説ある。死傷者は後に墓碑にて葬られ、その碑には「一万八百余名」と記されているが、他の中国側の主張ではこれは「一万八千余名」とし、大陸の諸研究でもこの数を支持している。これは事件を生き残って死体処理に当たったという中国人の証言に基づいている。 一方その他の証言は大きくそれを下回る。 有賀長雄『日清戦役国際法論』・・・・500名 『タイムズ』(1894.11.28)・・・・200名 『ニューヨーク・ワールド』(1894.12.20)・・・・2000名 フランス人ソバージュ大尉『日清戦史』(1897年)・・・・1500名 日本占領後の清国人の旅順行政長官から大山巌第二軍司令官への報告・・・・1500~1600名(便衣兵を含む死体の数) 以上は事件発生当時からさして年数が経過していない期間の証言であるが、現代の中国側の研究では2万名弱という数との主張が定説となっている。一方で、日本の研究では200名弱から最大6000名という風にかなり人数にばらつきがある。被害者数の認定に大きな差異が生じているのは、いつ亡くなった者が不明の者や誰に殺傷された人か不明瞭な者、さらには証拠のなしの証言での人数までも認定するかについて大きな懸隔があるからである。
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