戦後の近代化、プレメトロ開通後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 03:19 UTC 版)
「ブリュッセル市電」の記事における「戦後の近代化、プレメトロ開通後」の解説
第二次世界大戦後の1945年に、ブリュッセル市電を含めた同市の公共交通機関を運営していたブリュセル・トラムの契約期間が満了を迎えた事により、翌1946年に立ち上げられた暫定的な運営委員会を経て、1953年からはブリュッセル首都圏地域やブリュッセル市、ブラバント州等の自治体が出資したブリュッセル首都圏交通(STIB)へと移管した。 これらの運営組織は戦前から引き続き路面電車網の近代化を進め、既存の車両の内装や機器の更新、電停や線路の交換などが実施された。その中でもエポックメイキングとなったのは1951年から営業運転を開始したPCCカーと呼ばれる電車であった。これは戦前にアメリカ合衆国で開発された高性能かつ騒音や振動が抑制された路面電車車両で、最初の形式となったT7000形はブリュッセル万博に向けた増備分も含めて170両以上が量産された。更に1960年代以降は連接車の量産も開始された事で戦前から使用されていた車両の置き換えが進み、多くの2軸車は1960年に車体更新が行われたものの1980年代までに営業運転を終了した。 その一方で、1950年代以降急速なモータリーゼーションの影響により道路の混雑が問題となり始め、路面電車を含む公共交通機関は定時性を確保する事が困難になってきた。それを受けて1956年以降ブリュッセル市電では一部区間の専用軌道化や地下化を実施したが、1960年代以降も道路の混雑は深刻さを増すばかりであった。更に同年代は路線バスへ置き換えられる形で市電の一部区間の廃止が始まっていた。これらの事態を解消するため、ブリュッセル首都圏交通は地下鉄と同規格のトンネルを建設し路面電車の主要区間を移すプレメトロ(フランス語版)の導入を決定し、1969年から営業運転を開始した(ブリュッセル・プレメトロ)。 その後もブリュッセル首都圏交通はプレメトロの延伸や新型車両の導入などの近代化を継続して実施したが、これらの多額の投資に加えオイルショックの影響や利用客の減少により経営状態が悪化し、1978年には完全な公的機関へと移行した。路面電車についても1976年から営業運転を開始したブリュッセル地下鉄への置き換えに加え、ブリュッセル首都圏交通自体の財政難が影響し、1983年にはブリュッセル市電自体を全廃する案が発表される事態にまで至った。各方面からの抗議により計画は実現されなかったものの路線網の縮小は継続して行われ、同年時点で150 kmだった総延長は1980年代末には134 kmに縮小した。 ブリュッセル市電初のPCCカー・T7000形(1988年撮影) 2車体連接車のT7700形(1990年撮影) プレメトロの地下駅に停車するT7900形(1990年撮影) 車体更新が行われた2軸車のT9000形(左、1980年撮影) 2軸車の改造により導入された3車体連接車のT4000形(2002年撮影) 架線が撤去された廃線跡(1980年撮影)
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