戦後の近代化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/01 10:20 UTC 版)
「アントウェルペン市電」の記事における「戦後の近代化」の解説
終戦後の1945年、ライセンス期限を迎えたアントウェルペン軌道に代わり、市電の運営権は暫定組織であるアントウェルペン市内・郊外路面電車会社(Tramwegen van Antwerpen en Omgeving、T.A.O.)へ継承される事となった。だが、1946年に最高値を記録した利用客数は同年以降バスや自家用車の発達(モータリーゼーション)により減少の一途を辿り、複数の路線が廃止された。それでも同社は系統の再編成や定時制確保や高速化を目的とした専用軌道化などの施策を進め、1960年からはアメリカ合衆国で開発された高性能路面電車・PCCカーの導入により本格的な近代化が始まった。その後、1963年1月1日に設立されたアントウェルペン市外交通会社(Maatschappij voor het Intercommunaal Vervoer te Antwerpen、MIVA)は市電を始めとする公共交通機関の整備や近代化を進め、車庫や修理工場の再建も実施された。そして同年代にはベルギー運輸省の主導により高規格の地下鉄と同規格のトンネルを敷設し路面電車を走らせるプレメトロ(フランス語版)(アントウェルペン・プレメトロ(フランス語版、オランダ語版))計画が始動し、1970年から建設が始まった後1975年3月25日に最初の区間が営業運転を開始した。その後もプレメトロは延伸を重ね、1990年にはスヘルデ川の地下を潜り対岸を結ぶ区間が開通し西岸の地域から中心部への利便性が大幅に向上した。ただしMIVAの財政難の影響を受け、建設されながらも使用されない地下トンネルや地下駅も幾つか存在した。 その後、アントウェルペンを含めたベルギーのフランデレン地域の公共交通事業者(ベルギー国鉄を除く)は1988年に実施された制度改革によりフランデレン政府の管轄下におかれる事となり、1991年1月1日以降フランデレン交通公社(Vlaamse Vervoermaatschappij)、ブランド名「ドゥ・レイン(オランダ語版)」として運営される事となった。 建設が進むプレメトロのトンネル(1985年撮影) 1980年代のアントウェルペン市電(1985年撮影) MIVA時代末期のプレメトロ(1990年撮影)
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