戦後の軍事行動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/05 05:15 UTC 版)
「カレー包囲戦 (1940年)」の記事における「戦後の軍事行動」の解説
軍隊の退避が一段落した時、ドーバー副長官で中将のバートラム・ラムゼーは余剰兵士とランチ (船)サモワ号を回収するため小型船を派遣し、負傷者をイングランド本土に戻すため4往復させた。5月26日にヨットのコニドー号が入港するも座礁した。そのヨットは午後の潮流で再び離礁し、他の船が死傷者を出した際には165人の兵士を救助した。5月26-27日の夜、ラムゼーはモーターヨットのグルザー号に赤十字を塗り、負傷者を回収するためカレーまで航海した。2時にグルザー号は入港し、波止場(Gare Maritime)に停泊。一団が上陸すると砲撃を受けた。 グルザー号が港周辺からの発砲を受けたため、一団は逃避してボートを解き放った。東の桟橋にいたイギリス軍が声をかけてトーチで照らし、それが乗組員に確認されるとグルザー号は引き返して退避者たちは船に飛び乗り、ヨットがまだ炎上するなか逃亡した。5月27日、イギリス空軍は昨晩の戦争省からの要請に応じて、カレー守備隊に補給物資を落とすため、航空機ウェストランド ライサンダー12機を派遣して夜明けに(物資を)海へ落とした。10時、艦隊航空隊のフェアリー ソードフィッシュ9機がドイツ軍大砲の砲台を爆撃したことで、17機のライサンダーが城塞に弾薬を落とした。3機のライサンダーが撃墜され、ホーカーヘクターが被弾した。
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