連合国戦争犯罪委員会
連合国戦争犯罪委員会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 14:42 UTC 版)
6月になってチャーチルは戦争犯罪の証拠を収集する、連合国戦争犯罪捜査委員会 (United Nations War Crimes Commission for the Investigation of War Crimes)の設置に関してアメリカと協議を開始した。7月にはイギリス内閣で委員会設置が承認され、10月7日、ルーズベルト大統領とイギリスのサイモン(en:John Simon, 1st Viscount Simon)大法官はの設立に合意した。1943年10月7日にはソ連を除く連合国、オーストラリア、ベルギー、カナダ、中国、チェコスロバキア、ギリシャ、インド、ルクセンブルク、オランダ、ニュージーランド、ノルウェー、ポーランド、南アフリカ、イギリス、アメリカ、ユーゴスラビア、フランス(自由フランス)をメンバーとする連合国戦争犯罪委員会(United Nations War Crimes Commission、UNWCC)が正式に発足した。またソ連は即刻戦犯処罰を開始するべきと主張していたが、イギリスは捕虜への報復を恐れ、戦時中の戦犯処罰に慎重であった。このため第二次世界大戦の連合国側による戦犯裁判は大半が戦後に行われることになる。 同11月1日、アメリカ合衆国、イギリス、ソビエト連邦各国外相会談によるモスクワ宣言が出された。この中で、ドイツの主要戦争犯罪や残虐行為への処罰が言明された。またこの声明の中で、戦犯裁判は被害国が行うという原則が確認された。
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