第33特別根拠地隊
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1944年(昭和19年)8月5日、第33特別根拠地隊司令官に就任。フィリピン防衛の一翼を担った。原田は第33特別根拠地隊司令官として、フィリピン防衛のためセブ島に基地を設けた。レイテ湾攻撃を命じられていたが、損害が大きくなるだけであると判断し、特殊潜航艇による輸送船団の攻撃を図る。特潜搭乗員のうち中核となったものは、かつて原田の訓練を受けた者であった。原田は戦場となるミンダナオ海を航空機に搭乗して視察し、見張り所、前進基地、補給基地を整備した。内海という好条件に加えて、搭乗員や整備員に熟練者を得、8隻の特殊潜航艇(他に予備1隻)をもって日本側によれば20隻撃沈を報告。ただし戦後確認された戦果は駆逐艦1隻の撃沈である。特潜の被害は未帰還1、廃棄処分2であった。セブ島への米軍の上陸を迎え、残存艇は自沈措置が取られた。 終戦直後の1945年(昭和20年)9月25日、死去。戦病死とも自決ともされる。同日、海軍中将に特進。原田は稚松会会員でもあった。
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