第33軍の断作戦計画とは? わかりやすく解説

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第33軍の断作戦計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 04:35 UTC 版)

断作戦」の記事における「第33軍の断作戦計画」の解説

上述雲南遠征軍に対す反撃作戦は、ほとんど第56師団独自の判断実行された。当時、同師団の上司令部である第33軍司令部編成直後昭和19年4月29日編成完結)であり、かつフーコン方面戦況緊迫していたため、第33軍司令官本多政材中将は、雲南方面反撃作戦第56師団一任していた。しかし昭和19年6月末になり、龍陵地区における第56師団攻勢限界達し、拉孟守備隊救出見込みも立たなかったため、本多軍司令官第56師団主力龍陵南西芒市付近に後退させた。この間、拉孟・騰越・平戞の各守備隊優勢な遠征軍重囲下で孤軍勇戦続けており、また第56師団主力後退により、龍陵も再び敵の包囲するところとなった。 この当時インパール作戦失敗後のビルマ方面軍作戦指導は、雲南の怒西地区において連合軍インド中国連絡ルートレド公路)を遮断することに重点置いていた。このためガダルカナル島の戦いから撤退した後、ビルマ南西沿岸防備当たっていた第2師団と、新たにビルマ増加された第49師団一部を第33軍に増強することとした。また、7月3日大本営作戦班長支那派遣軍課長参謀歴任した辻政信大佐が第33作戦参謀転補した。辻大佐は高級参謀白崎明大佐の下で、以下の作戦計画立案した。 軍は主力芒市周辺集結し雲南遠征主力龍陵方面撃滅して怒江の線に進出し、拉孟・騰越守備隊救援するとともに、印支連絡路遮断する龍陵周辺への攻撃第56師団及び第2師団攻勢準備完了とともに速やかに開始する龍陵周辺において敵主力撃破した後は、一挙に拉孟付近に急進して拉孟守備隊解囲救出し次いで騰越方面攻勢執り騰越守備隊解囲救出する。 平戞守備隊救出第2師団又は第56師団一部をもって行い、騰越守備隊救出同時又はその後に行う。 第18師団インドウ付近に後退後、ナンカン方面転進し以後ミイトキーナ方面の敵に対して印支連絡路遮断するバーモ付近第2師団一部をもって確保しつつ第18師団転進掩護し、ミイトキーナ方面の敵の前進遅延させる。 ミイトキーナは努めて長く確保し、スチルウェル中将の米支軍と雲南遠征軍との連携遮断する雲南遠征主力撃破し第一期作戦目的達成した後は、第2師団及び第18師団主力をもって米支軍方面攻勢執り、ミイトキーナ及びバーモ守備隊救出し第56師団とともに印支連絡路遮断強化する鉄道線補修確保して補給遺憾なからしめるとともに、ワンチン・ナンカン周辺陣地構築し、軍の以後作戦準備する。 以上の作戦は、印支ルート遮断の「断」をとって、「断作戦」と呼称することとなった

※この「第33軍の断作戦計画」の解説は、「断作戦」の解説の一部です。
「第33軍の断作戦計画」を含む「断作戦」の記事については、「断作戦」の概要を参照ください。

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