1945年 ボーロー飛行場
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「ボーローポイント」の記事における「1945年 ボーロー飛行場」の解説
1945年4月1日、米軍の上陸と占領。 1949年、「外国放送情報局沖縄ステーション」(FBIS) を設置。この通信施設は中央情報局(CIA)の海外最大の盗聴拠点であることが最近の調査で明らかになった。主に日本や中国、ベトナム、ソ連の放送を24時間態勢で傍受していた。 1957年6月、ナイキ・ハーキュリーズ基地(Aサイト、Bサイト)、メースB基地を建設。 1970年7月、嘉手納第1サイトのメースB基地を撤去。 1972年5月15日、「ボーロー・ポイント射撃場」「嘉手納第一サイト」「ボロー・ポイント陸軍補助施設」及び「読谷第一陸軍補助施設」が統合され、「ボロー・ポイント射撃場」として提供開始(使用主目的:訓練場、宿舎及び通信所)。
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