メースB基地
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核弾頭(マーク28)を搭載した巡航ミサイル「メースB」の射程距離はおよそ2400キロメートルで、旧ソ連の一部と中国大陸の大部分がその射程に入る。W28核弾頭の威力は1メガトンで、広島型原爆(15キロトン)のおよそ70倍の威力を持っていたといわれる。恩納サイトに並ぶ8つの六角形の格納庫は、中国及びソ連に向いた核ミサイル発射口だった。 嘉手納基地を拠点とする第5空軍第498戦術ミサイル群 (498th Tactical Missile Group) の管理下で、以下の四カ所での配備が行われた。それぞれに8基のメースが装備されているため、合計で32のメースが沖縄に配備されていたことになる。 メース基地 場所 備考 1 嘉手納第1サイト ボロー・ポイント射撃場 読谷村 2 嘉手納第2サイト ホワイト・ビーチ地区 現うるま市 3 嘉手納第3サイト ギンバル訓練場 金武町 4 嘉手納第4サイト 恩納サイト 恩納村 2017年9月放送のNHKスペシャル『スクープドキュメント 沖縄と核』では、丹念に情報公開法で公文書を検証し、県民の知らない間に島全体が核の基地と訓練場にされていた沖縄の実態を明らかにした。冷戦時代、沖縄にメースも含め1300発もの核兵器があったと言われている。 1965年 - 81,000㎡の土地を強制接収。核ミサイルメースBの発射台が建設され、核弾頭を備えたメースBの発射台として使用された。極東の戦略上の転換と沖縄の返還に伴い、1970年頃からその機能を事実上停止していた。
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メースB基地
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冷戦時代、アメリカ軍は共産圏への核抑止力として、沖縄県内4カ所 (ギンバル、恩納サイト、読谷ボロー・ポイント、勝連半島) に核弾頭搭載可能な中距離弾道ミサイル「メースB」基地を配備した。8基の発射台をもち、米第313空軍師団の第498戦術ミサイル隊のメースBが8基配備されていた。核戦争を想定しているため、最深11メートルの頑丈な二つの地下コンクリート施設は廊下で連結されていた。射程2,400キロ、広島原爆の70倍以上の威力を有する核兵器メースBミサイルの基地は、計32基がこうしていつでも発射できる態勢を維持していた。 メース基地 備考 1 嘉手納第1サイト ボロー・ポイント射撃場 読谷 2 嘉手納第2サイト ホワイト・ビーチ地区 現うるま市 3 嘉手納第3サイト ギンバル訓練場 金武町 4 嘉手納第4サイト 恩納サイト 恩納村 沖縄返還を前に、核兵器は撤去されたことになっている。しかし、2011年に返還された時点でも、撤去に膨大な費用がかかる地下の巨大なコンクリートの構造物は、ギンバル訓練場の地下にそのまま取り残されていた。米軍は日米地位協定で環境的な原状回復義務を負わないため、膨大な負担となるメースサイトの4施設をすべて日本に返還し、構造物の撤去とクリーンアップはすべて日本の税金で賄われた。ギンバルのメース地下施設の撤去費用だけで、総額約1億5千万円、土地の土壌調査やクリーンアップ費用に241,132,500円が費やされた。
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