西原第2陸軍補助施設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 05:14 UTC 版)
「西原陸軍補助施設」の記事における「西原第2陸軍補助施設」の解説
1972年5月15日: 沖縄返還協定了解覚書B表に基づき、⑴ ホワイト・ビーチ港海軍施設、⑵ 勝連半島陸軍地区、⑶ ホワイト・ビーチ貯油施設、⑷ 嘉手納第2サイト (メースB基地) とともに ⑸西原第2陸軍補助施設 (ホーク・ミサイルのミサイル・サイトとコマンド) が「ホワイト・ビーチ地区」として統合された。 1973年5月1日: 沖縄返還協定了解覚書B表に基づき、ホワイト・ビーチ地区となった西原第二陸軍補助施設の敷地約134,000㎡が、陸上自衛隊に移管され、那覇駐屯地勝連高射教育訓練場(勝連分屯地) が開設された。米軍のホークミサイル及び施設はそのまま勝連分屯地が引き継いだ。 「ホワイト・ビーチ地区」を参照
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