1945年の師管区
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「日本陸軍の管区と部隊」の記事における「1945年の師管区」の解説
師管とは師団の管轄する区域のことであり、その司令部とは師団司令部にほかならず、師団が外地に出征し不在の場合には留守師団が置かれ、師団長とは別に留守師団長が補されていた。しかし、大戦末期の昭和20年(1945年)には本土決戦が必至の状況となりこのあり方を抜本的に改めた。それまでの留守師団を改編し師管区司令部を編成し担任区域の防衛も併せて担任した。域内の連隊区司令部と同じ区域に地区司令部を併置し、連隊区司令官が地区司令官を兼ねた。朝鮮半島の海外領土にも師管区司令部が設置されたが、海外領土に連隊区司令部は置かれず兵事部が設置された。師管区司令部にはそれまでの留守師団と同じく補充兵からなる補充隊が編成され、それぞれ歩兵連隊・砲兵連隊・工兵連隊に準じて配置され、管区内に陸軍病院を持った。師管区司令官は中将が任命され、参謀長・兵事部長が置かれたが、殆どの各管区司令官は予備役の中将を召集して任命された。 師管区司令部 ※括弧内は夫々師管区司令部の編成時期とその母体。 弘前師管区司令部(昭和20年4月1日留守第57師団司令部を改称) 仙台師管区司令部(昭和20年4月9日留守第2師団司令部を改称) 東京師管区司令部(昭和20年4月1日留守近衛第2師団司令部を改称) 宇都宮師管区司令部(留守第51師団司令部を改称) 長野師管区司令部(昭和20年4月1日留守第54師団司令部を改称) 名古屋師管区司令部(昭和20年4月1日留守第3師団司令部を改称) 金沢師管区司令部(昭和20年4月1日留守第52師団司令部を改称) 京都師管区司令部(昭和20年4月1日留守第53師団司令部を改称) 大阪師管区司令部(昭和20年4月1日留守第4師団司令部を改称) 善通寺師管区司令部(昭和20年4月1日留守第55師団司令部を改称、6月12日四国軍管区司令部に改称) 広島師管区司令部(昭和20年4月1日留守第5師団司令部を改称、6月12日中国軍管区司令部に改称) 久留米師管区司令部(昭和20年4月1日留守第56師団司令部を改称) 熊本師管区司令部(昭和20年4月1日留守第6師団司令部を改称) 旭川師管区司令部(昭和20年2月28日留守第7師団司令部を改称) 羅南師管区司令部(昭和20年2月9日新設) 平壌師管区司令部(昭和20年2月28日留守第30師団司令部を改称) 京城師管区司令部(留守第20師団司令部を改称) 大邱師管区司令部(昭和20年2月9日新設) 光州師管区司令部(昭和20年2月9日新設)
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