1945年から今日まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 08:26 UTC 版)
「イラストレーション」の記事における「1945年から今日まで」の解説
印刷技術がさらに発達し、グラビア印刷により写真が容易に印刷できるようになった20世紀後半になるとメディアは徐々に手描きのイラストレーションを見捨てるようになり、イラストレーションは写真を補完する形で個性化が進んでいった。イラストレーターたちは広告、児童書、科学書、ディスクジャケット、それから政治や社会の「風刺画」を主とした新聞雑誌の図版といった領域で活動を続けている。ラルフ・ステッドマン(英語版)、トミー・アンゲラー、ダニエル・マジャ(フランス語版)、ローラン・トポール(英語版)などなど、数多くの個性が新聞雑誌、文学の挿絵、児童文学などのさまざまな領域で頭角を現している。美術出版社はアンリ・マティス、レイモン・モレッティ(フランス語版)、パブロ・ピカソといった高名な画家に頼るようになった。一例としてピカソはスキラ社が出版するオウィディウスの『変身譚』のために挿絵を描いた。 第二次世界大戦で本土に被害を受けなかった合衆国の1950年代はノーマン・ロックウェル、ハリー・アンダーソン(英語版)、ボリス・アルツィバーシェフ(英語版)、チャールズ・ケリンズ(英語版)らによる第2の黄金時代を迎え、1960年代前半までは雑誌広告や漫画などを中心にメディアでのイラストレーションの活躍が見られた。イラストレーションは主に出版とコミュニケーションの領域で、絵画の潮流に追随する形で存続したが、時にはアンディ・ウォーホルやロイ・リキテンスタイン(両者とも商業イラストレーターとして働いていた)のポップアート作品のように絵画の潮流を先取りし導いたこともあった。この時代には、広告が巨大産業となってゆくのに伴いグラフィックデザインの分業化が進み、イラストレーターも独立した職業となっていった一方で、商業の中の部品への後退も見られた。 フランス1970年代の出版界で、グループ「バズーカ」の若いグラフィックデザイナーたちがロシア構成主義や漫画の影響を受け、写真やタイポグラフィと戯れるコラージュからなる大胆で革新的なスタイルを打ち出した。1980年代にはノーマン・ロックウェルの再発見を通じて、写真モンタージュの模写・演出を主に利用し、(コンピュータに取って代わられるまでは)エアブラシを多用した「ハイパーリアリズム」の傾向が見られた。 1980-1990年代には、テレビジョンのような視聴覚メディアがタブレットを使用して生で番組の主題を戯画化したり図解したりといった形で時折イラストレーターの助けを借りるのが見られた。このタイプの高度な即興と早描きの能力を要求するイラストレーションはシンポジウムや会議やセミナーやその他のイベントなどでも用いられることがあった。 20世紀末以降も、イラストレーションの伝統的な技法は教えられ利用され続けている(美術学校、応用美術、グラフィック・アート……)。イラストレーションの添えられた出版物(児童書、雑誌、教育書、百科事典……)は増加を続けている。手描きのイラストレーションは専門誌(コンピュータ誌や女性誌など)で人気を取り戻しており、若年層向けの雑誌や書籍でも急速に数を増やしている。今日では、書籍・雑誌・ポスターなどで使用されたイラストレーションの原画を蒐集し眺めることへの関心が高まりつつあり、数多くの美術館・美術雑誌・画廊が、昔のイラストレーターたちのためにスペースを割いている。アートブックやイラスト集などとしてイラストレーションそのものが商品となることも多い。 媒体の選択肢が広がり、ビジュアルデザインやインフォグラフィックなどの概念も発達し、空間・環境などの領域への進出も見られる。情報機器の発達によって可能になったコンピュータゲームやウェブサイトなどのようなマルチメディアやコンピュータグラフィックスのイラストレーションもまたますます存在感を増しつつある。浩瀚な紙の百科事典も今日ではマルチメディア版(CD-ROMやDVDとインターネットのハイパーリンク)が出ており、画像・図案・写真のコピーだけでなく、音声・合成映像・アニメーション・ビデオなどをも主題の図解に使用している。
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