1945年(昭和20年)の水害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 09:59 UTC 版)
「水内ダム」の記事における「1945年(昭和20年)の水害」の解説
1945年(昭和20年)10月5日および10月9日、水内村は水害に見舞われた。住民は水内ダムの洪水吐ゲートの開門が遅れたのが原因であるとし、村民大会を決起して電力会社に対し責任を追及するとともに損害補償とダムの撤去を求める決議を行い交渉を開始した。しかし、電力会社側は今回の水害は人災ではなく天災であり、補償についても1940年(昭和15年)に解決済みであるとして取り合わなかった。このため住民側は長野県庁に赴き被害状況について説明するとともに原因究明にあたるよう陳情した。これにより、既存の堤防のかさ上げや、堤防のない箇所には新たに堤防を造る対策が行われ、電力会社側からも見舞金が支払われた。
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