1983年(昭和58年)の水害
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「水内ダム」の記事における「1983年(昭和58年)の水害」の解説
1983年(昭和58年)9月、上水内郡信州新町は水害に見舞われた。秋雨前線の停滞により雨の日が続いていた中、台風10号が日本列島を縦断し、秋雨前線が刺激されて日本の広い範囲に大雨がもたらされた。犀川の上流域である飛騨山脈(北アルプス)では9月27日から9月28日にかけて300ミリ以上もの降雨があり、9月28日の午後から犀川の水位が上がり始め、午後7時過ぎに有線放送で住民に対し避難命令が出された。住民は1945年の水害後に堤防が整備されたほか、上流域にダム群が建設されているとしてあまり深刻に考えていなかったが、夜半になりついに堤防から水があふれ出した。その後、水位は下降に転じ、朝には排水。川の水位は最高431.3メートルまで上昇したが、浸水域の水位は最高でも429.9メートルであった。もし浸水域の水位が川の水位と同じまで上昇していたら2階部分まで水が来ることになり、被害はさらに深刻なものとなっていた。浸水家屋620棟、道路や河川施設の損壊400か所、収穫前の農作物も大きな被害を受けた。町役場や郵便局では水に浸かった書類の片付けに追われ、学校は2日間の休校となった。信州新町における被害額は32億900万円にものぼった。 同年10月5日、新町公民館の役員が主体となって被災者総決起集会が開かれ、水害の根本的な原因は水内ダムであると決議。11月28日、「信州新町台風10号水害被災者同盟会」が結成され、損害補償とダム撤去を中心とする活動方針を決定した。会は町にも働きかけを行い、始めは水害の原因が久米路峡にあるとして、ダムとは共存共栄を図りたいとしていた町長も、1984年(昭和59年)には水内ダムが原因であるとの見方を示すようになる。町議会もダム撤去を求める意見書を可決。住民と町は足並みをそろえ、東京電力との交渉に乗り出した。 1984年10月17日、住民側は長野県小諸市にある東京電力千曲川電力所に要求書を提出した。しかし11月5日、電力会社側は住民側に対してダムと水害との関係を科学的に証明するよう求め、さらに電力会社側はダムは水害に関係がないことを科学的に証明できるとも付け加えた。その後、住民側が電力会社側の説明根拠を徐々に崩してゆくと、電力会社側は水害の原因究明をよそに金銭解決へと話を持ち込み始めた。補償は考えていないが見舞金を用意するとして住民側に提示した額は3,000万円。交渉の進展とともに見舞金は「解決金」という名前に変わり、額も億単位に増えていった。そして1986年(昭和61年)、電力会社側は5億円の解決金と、総額3億8,500万円の被災地生活再建対策費(内訳は被災者への配分が3億円、水防会館の建設に6,000万円、町の事務経費・利子補給充当額2,500万円)を支払うとともに、1987年(昭和62年)以降の概ね5年間、水内ダム湖に堆積した土砂(堆砂)を浚渫するとして交渉は妥結した。 長野県は今回の水害を受け、当地の50分の1の模型を用意して水理実験を実施し、その結果を踏まえ1987年2月12日に恒久的防災治水対策の最終案を発表した。水害の原因はダムではなく久米路峡の影響とした上で、3点の施策を示した。 川幅がもっとも狭い久米路橋の左岸を30メートル削って川幅を現状の2倍に拡幅する。 久米路峡の上流にある源真寺の対岸の杉山を76.5メートル削る。 久米路峡の上下流を結ぶ河川トンネルを開削する。 以上の施策は同時に施工することによる複合効果を期待するものであるとされた。住民側は水害の原因設定が正しくないとし、県の案ではダムの影響が解消されない点を指摘する声があったが、結局この案で妥協するに至った。 1992年(平成4年)8月、3点の施策のうちの1点に挙げられていた河川トンネルが完成。水路の全長は229メートルで、うち117.5メートルが新オーストリアトンネル工法 (NATM) による直径10メートル、断面積80平方メートルのトンネルである。想定しうる3,500立方メートル毎秒の洪水のうち、400立方メートル毎秒をトンネルで通過させる。総工費は15億7,500万円。源真寺対岸の杉山開削についても2008年(平成20年)までに完了した。残る久米路峡の開削については景観破壊との批判が強く、長野県は工期と費用を抑えるため久米路峡の開削を中止し、新たに河川トンネルをもう一本開削した。それが2014年(平成26年)に完成した久米路第2河川トンネルであり、全長は199.5メートル、うち176.5メートルが高さ12.21メートル、幅15メートルのトンネルとなっている。こうした施策により、4,000立方メートル毎秒の洪水時に際しても、新町橋付近における河川水位は堤防の余裕高120センチメートル内に収まることとなった。その間にも堤防のかさ上げや補修、排水機場のポンプの改良・増設などが実施されており、2014年10月18日、久米路第2河川トンネルの竣工式が久米路河川公園で開催され、1983年(昭和58年)の水害を契機とした治水対策工事は完了を迎えた。 建設中の第2河川トンネル(2014年1月) 建設中の第2河川トンネル(2014年5月) 河川トンネル上流側
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