1983年の水害とは? わかりやすく解説

1983年(昭和58年)の水害

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 09:59 UTC 版)

水内ダム」の記事における「1983年昭和58年)の水害」の解説

1983年昭和58年9月上水内郡信州新町水害見舞われた。秋雨前線停滞により雨の日続いていた中、台風10号日本列島縦断し、秋雨前線刺激され日本の広い範囲大雨もたらされた。犀川の上流域である飛騨山脈北アルプス)では9月27日から9月28日にかけて300ミリ上もの降雨があり、9月28日午後から犀川水位上がり始め午後7時過ぎに有線放送住民対し避難命令出された。住民1945年の水害後に堤防整備されたほか、上流域ダム群が建設されているとしてあまり深刻に考えていなかったが、夜半になりついに堤防からがあふれ出したその後水位下降転じ、朝には排水川の水位は最高431.3メートルまで上昇したが、浸水域の水位は最高でも429.9メートルであった。もし浸水域の水位川の水位と同じまで上昇していたら2階部分までが来ることになり、被害はさらに深刻なものとなっていた。浸水家屋620棟、道路河川施設損壊400か所、収穫前の農作物大きな被害受けた町役場郵便局では浸かった書類片付け追われ学校2日間の休校となった信州新町における被害額32900万円にものぼった同年10月5日新町公民館役員主体となって被災者決起集会開かれ水害根本的な原因水内ダムであると決議11月28日、「信州新町台風10号水害被災者同盟会」が結成され損害補償ダム撤去中心とする活動方針決定した。会は町にも働きかけ行い始め水害原因久米路峡にあるとして、ダムとは共存共栄図りたいとしていた町長も、1984年昭和59年)には水内ダム原因であるとの見方を示すようになる町議会ダム撤去求め意見書可決住民と町は足並みをそろえ、東京電力との交渉乗り出した1984年10月17日住民側は長野県小諸市にある東京電力千曲川電力所要求書提出した。しかし11月5日電力会社側は住民に対してダム水害との関係を科学的に証明するよう求め、さらに電力会社側はダム水害に関係がないことを科学的に証明できるとも付け加えたその後住民側が電力会社側の説明根拠徐々に崩してゆくと、電力会社側は水害原因究明をよそに金銭解決へと話を持ち込み始めた補償考えていない見舞金用意するとして住民側に提示した額は3,000万円交渉進展とともに見舞金は「解決金」という名前に変わり、額も億単位増えていった。そして1986年昭和61年)、電力会社側は5億円の解決金と、総額3億8,500万円被災地生活再建対策費内訳被災者への配分が3億円、水防会館建設に6,000万円、町の事務経費利子補給充当額2,500万円)を支払とともに1987年昭和62年以降概ね5年間、水内ダム湖に堆積した土砂堆砂)を浚渫するとして交渉妥結した長野県今回水害を受け、当地50分の1の模型用意して水理実験実施しその結果踏まえ1987年2月12日恒久的防災治水対策最終案発表した水害原因ダムではなく久米路峡の影響とした上で3点施策示した川幅がもっとも狭い久米路橋左岸30メートル削って川幅現状の2倍に拡幅する。 久米路峡の上流にある源真寺対岸杉山を76.5メートル削る。 久米路峡の上下流を結ぶ河川トンネル開削する。 以上の施策同時に施工することによる複合効果期待するのであるとされた。住民側は水害原因設定正しくないとし、県の案ではダム影響解消されない点を指摘する声があったが、結局この案で妥協する至った1992年平成4年8月3点施策のうちの1点挙げられていた河川トンネル完成水路全長229メートルで、うち117.5メートル新オーストリアトンネル工法 (NATM) による直径10メートル断面積80平方メートルトンネルである。想定しうる3,500立方メートル毎秒洪水のうち、400立方メートル毎秒トンネル通過させる総工費15億7,500万円源真寺対岸杉山開削についても2008年平成20年)までに完了した。残る久米路峡の開削については景観破壊との批判強く長野県工期費用抑えるため久米路峡の開削中止し新たに河川トンネルをもう一本開削した。それが2014年平成26年)に完成した久米路第2河川トンネルであり、全長は199.5メートル、うち176.5メートルが高さ12.21メートル、幅15メートルトンネルとなっている。こうした施策により、4,000立方メートル毎秒洪水時に際しても、新町橋付近における河川水位は堤防余裕120センチメートル内に収まることとなったその間にも堤防かさ上げ補修排水機場ポンプ改良増設などが実施されており、2014年10月18日久米路第2河川トンネル竣工式久米河川公園開催され1983年昭和58年)の水害契機とした治水対策工事完了迎えた建設中の第2河川トンネル2014年1月建設中の第2河川トンネル2014年5月河川トンネル上流側

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