1983年の日本シリーズ 巨人vs.西武
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「レジー・スミス」の記事における「1983年の日本シリーズ 巨人vs.西武」の解説
1983年の西武ライオンズとの日本シリーズでは、西武投手陣から徹底的にマークされ、25打数4安打 打率.160 と抑え込まれたが、次のような局面もあった。 第3戦(1983年11月1日、後楽園球場) 1勝1敗で迎えた第3戦、9回表終了時点で巨人は1点のリードを許していた(9回表終了時のスコアは、西武4-3巨人)。9回裏2死無走者の場面から、2番・篠塚利夫、3番・原辰徳の連打で一、二塁のチャンスを迎える。ここで4番・スミスが打席に向かう際に当時の王貞治助監督が、「レフトへ流せ、ヒットでいい」と指示。精神集中をしている最中にそのような指示をされたことにかなりカッとなったが、スミスは元メジャーリーガーのプライドからか、相手投手の東尾修の外角シュートを左へ流さず強引にセンター前にはじき返す同点適時打を打ち、次打者・中畑清がレフト前へサヨナラヒットを打った。 第5戦(1983年11月3日、後楽園球場) 2勝2敗で迎えた第5戦は投手戦でもつれた(9回表終了時のスコアは2-2の同点)。9回裏2死無走者の場面で、スミスの一発を警戒した西武バッテリー(森繁和-大石友好のバッテリー)は、スミスに四球を与える(スミスへの四球は延長戦突入を目論んだ西武ベンチの作戦だったという説もあり)。次打者・中畑清への4球目に、スミスは二塁へのスチール成功。まさかのスチールに虚をつかれ動揺した西武バッテリーは、中畑を歩かせた。2死一、二塁となり、7番・ヘクター・クルーズのサヨナラ3ランにつながった。
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