解決へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 01:25 UTC 版)
金田・真田の事実上の解雇が報じられたことで、この内紛は広く世間の注目を集めることとなり、社会的地位のある阪神ファンが仲介に乗り出すことがマスコミで伝えられたりした。リーグ会長の鈴木龍二の要請を受け、巨人の水原茂監督と川上哲治・千葉茂の両選手も仲介役として来阪した。川上・千葉は藤村や金田に面会した。藤村は川上からもう一度金田をチームに戻すよう勧められ、阪神電鉄本社の前田常務に申し入れをしたところ「藤村がたってそういうのなら帰そう」といわれたという。その結果、12月20日に大阪・中之島の新大阪ホテル(現在のリーガロイヤルホテルの前身。現存せず)で藤村は金田と面会することとなる。金田は川上・千葉と会った際には「選手をやめるからもういい」と答えたが、事態が収まらないため「よし、オレが泥沼に入ってやる」という気持ちになったと後年のインタビューで述べている。当時の新聞報道では、この席で藤村は「金田と協力してチーム運営に当たりたい」と申し入れたという が、後年の藤村の証言では金田は藤村については何も話さずにチームメイトの渡辺博之の話に終始し、藤村は「とにかく帰ってこい」と言ったという。翌21日、戸沢は金田を呼んで「一切を白紙に戻す」と伝えたが、金田は「他の選手のこともある」と確答を避けた。12月24日に再度戸沢は金田と会談をおこなって復帰を確約し、翌25日に来季の契約を結ぶことが正式に発表された。このとき、戸沢は真田については「戦力にならないので退団とした。事件とは関係ない」と説明した。真田はそのまま退団することとなる。 金田の復帰で他の「排斥派」の選手は対応を迫られた。仲介に入っていた阪神ファンの神風正一のアドバイスもあり、「条件を付けて会社と折り合う」方針に変更、「退陣要求書」を撤回することとなった。戸沢代表の説得で選手も徐々に軟化していたという事情もあった。12月30日に電鉄本社で田宮謙次郎と徳網茂が戸沢と面会して合意。戸沢代表・藤村・金田がそれぞれ声明書を発表し、藤村監督の続投と金田を含む他の選手との契約更改という形で決着を見た。戸沢代表を真ん中にして藤村、金田の3人の並んだ写真が大晦日の関西のスポーツ紙の一面を飾った。 ここまでの経緯につき、青木一三はやや異なる証言を残している。それによると、青木は解雇されて大映に入社した後も、裏で阪神電鉄本社と交渉をしていたという。青木は、自分たちの主張ばかり通したのでは電鉄の労働組合も困るだろうと、自分と金田・真田が辞めるのはやむを得ないが(他の)選手の方はちゃんとしてくれと要求した。その後、金田は復帰させ、真田・青木は退任する代わりに条件を詰めて手を打つところまで来ていた。ところが、東京の阪神後援会長が介入して金田と交渉し、青木曰く「一人芝居」をしたため、これはいけないと12月30日を期して他の選手にチームに戻れという形で解決したのだという。青木はこれに関して「妥協する点を金田は見誤った」と述べている。また、著書の中では要求として「藤村監督の来シーズン中の解任」を出したこと、13人の選手の契約更改に際して田宮の金額を見て納得したので、後は任せるとして身を引いたことを記している。
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