遠藤喜一とは? わかりやすく解説

遠藤喜一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 15:52 UTC 版)

遠藤 喜一
えんどう よしかず
生誕 1891年8月8日
日本 東京
死没 (1944-05-03) 1944年5月3日(52歳没)
ホーランディア
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1912年 - 1944年
最終階級 海軍大将
墓所 青山霊園
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遠藤 喜一(えんどう よしかず、明治24年(1891年8月8日 - 昭和19年(1944年5月3日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍大将

経歴

海軍少将遠藤喜太郎の長男として東京に生れる。学習院を経て、1911年海軍兵学校39期)を卒業し、1912年海軍少尉に任官。1917年から翌年にかけて海軍大学校乙種学生、続いて海軍砲術学校高等科に学び優等で卒業。巡洋艦「常磐分隊長、戦艦「朝日」分隊長、戦艦「長門」副砲長などを経て、1923年、海軍大学校甲種第21期を卒業した。

その後、呉海兵団分隊長、呉鎮守府参謀、海軍大学校教官、軽巡洋艦長良」副長、ドイツ駐在武官、「鬼怒」艦長、侍従武官などを経て、1937年に海軍少将に昇進。さらに、ドイツ勤務を経て、横須賀鎮守府参謀長総力戦研究所長等を歴任する。

太平洋戦争中は第1遣支艦隊司令長官を経て第九艦隊司令長官に就任。

しかし太平洋の制海権が米軍に奪われた1944年5月、第9艦隊司令部はニューギニアホーランディアで玉砕。戦死後、海軍大将に昇進した。

妻、育子は陸軍大将内山小二郎の娘である。

栄典

位階
勲章

参考文献

  • 半藤一利他『歴代海軍大将全覧』中央公論新社〈中公新書ラクレ〉、 2005年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。

ギャラリー

遠藤侍従武官(中央)

脚注

  1. ^ 『官報』第4456号「叙任及辞令」1941年11月14日。

遠藤喜一(海兵39期)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 14:37 UTC 版)

駐在武官」の記事における「遠藤喜一(海兵39期)」の解説

1931年昭和6年)~1934年駐独大使館付武官となる。後に戦死により海軍大将となる。

※この「遠藤喜一(海兵39期)」の解説は、「駐在武官」の解説の一部です。
「遠藤喜一(海兵39期)」を含む「駐在武官」の記事については、「駐在武官」の概要を参照ください。

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