対潜掃討艦
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「鹿島 (練習巡洋艦)」の記事における「対潜掃討艦」の解説
鹿島は1945年1月1日に海防艦と第102戦隊を編制、1月21日まで呉海軍工廠で修理、整備が行われ、対潜掃討艦への改装が行われた。「あ号作戦後の兵装増備の状況調査」によると1945年2月時点の兵装は以下とされる。 50口径14cm連装砲 2基4門 40口径12.7cm連装高角砲 3基6門 25mm3連装機銃4基、同連装4基、同単装18挺 片舷爆雷投射機(装填台共)4基、爆雷投下軌道2条 22号電探1基、13号電探1基(共に前部マスト上) 哨信儀2組 探照灯2基 射出機1基 搭載爆雷は100個とされるが、AS1作戦(1945年)の時には配下海防艦への供給分を含めて爆雷300個を搭載しているまた1945年時には三式探信儀が装備されていた。水測兵器は最終時で水中聴音機2基、探信儀2基を装備、その他逆探2基も装備していた。
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対潜掃討艦
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「香椎 (練習巡洋艦)」の記事における「対潜掃討艦」の解説
香椎は1944年3月25日には海上護衛総司令部部隊に編入され、3月26日から4月29日に呉海軍工廠で対潜掃討艦への改装が行われた。主な改造は以下の通り。 艦尾の司令部居住区を改造し爆雷300個を搭載、艦尾上甲板に片舷式爆雷投射機8基と爆雷投下軌道2条を装備した。 煙突両側の魚雷発射管を撤去し、その跡に12.7cm連装高角砲を左右舷に各1基増備、後部の1基と合わせて合計3基になる。 カタパルトと後部マスト間の上甲板上両舷、後部マスト両舷の上構上に25mm3連装機銃計4基が増備された。 21号電探を前部マストに装備。そのためマスト形状が変更された。 艦内の防御区画を強化、爆雷庫はコンクリートで防御された。 その他に最下段の舷窓の閉鎖などが行われ、水測兵器が充実された。 搭載艇は12m内火艇2隻、12m内火ランチ1隻、9mカッター2隻の計5隻となっている。なお公式図による爆雷庫に搭載可能な爆雷の数は329個となっている。 あ号作戦(1944年6月)以降は単装機銃を増備した。「あ号作戦後の兵装増備の状況調査」によると同年7月時点の兵装は以下とされる。 50口径14cm連装砲 2基4門 40口径12.7cm連装高角砲 3基6門 25mm3連装機銃4基、同連装4基、同単装10挺 13mm単装機銃8挺 片舷爆雷投射機(装填台共)8基、爆雷投下軌道2条 22号電探1基、逆探 探照灯2基 射出機1基
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