対潜掃討群とCVHとは? わかりやすく解説

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対潜掃討群とCVH (2次防以前)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 09:27 UTC 版)

海上自衛隊の航空母艦建造構想」の記事における「対潜掃討群とCVH (2次以前)」の解説

その後対潜哨戒ヘリコプターHS)という新技術発達とともにヘリ空母として独自の運用思想構築されることとなった。この当時原子力潜水艦登場伴って、敵潜の避退時速力の高速化予想されたことから、水上艦艇による掃討列の前・側方にヘリコプター配することで捕捉率向上させることが構想されており、世界的にもまだあまり例のない運用思想であった。 この運用思想のもと、基準排水量23,000トンのCVH-a(対潜ヘリコプター18機及びS2F対潜哨戒機を6機搭載)と、基準排水量11,000トンのCVH-b(対潜ヘリコプター18搭載)の2案が構想されたが、検討結果総合的にCVH-b案が優れると判断された。 1959年昭和34年)には海幕内で「ヘリ空母CVH」として計画具体化され同年8月には技術研究本部において検討資料として、右記のような諸元備えた配置図草案作成された。主機関は「あまつかぜ」(35DDG)に準じたものとされた。飛行甲板全長155m×最大有効幅26.5mで、中部から後部にかけて3ヶ所のヘリコプター発着スポット設定されていた。エレベータは17m×8m大のものが2基、前部エレベータ甲板内式、後部エレベータ舷側式に設置されるハンガー長さ112.5m×最大幅22mで、HSS-2ヘリコプター18機を格納できるものとされた。ダメージコントロールのため、船体中心より後方4m位置スライディング・ドア設置されており、非常時にはこれを封鎖してハンガー前後分割することができるものとされた。建造費は100億円と見積もられ日本負担が80.5%、アメリカ側が19.5%、またHSS-2ヘリコプター27機の予算日本負担が47.8%、アメリカ側負担が52.2%、経費全体では日本負担が62.8%、アメリカ側負担が37.2%だということまで話が決まっていた。また対潜掃討群の編成としては、CVH×1隻、DDG×1隻、DDA×2隻、DDK×3隻と計画されていた。これらの構想に関して1960年9月海上幕僚監部から派米されたASW調査団は、アメリカ海軍から全面的な賛同受けた1960年昭和35年9月8日日本の外務省開催され第1回日米安全保障協議委員会SCC)において、アメリカ太平洋軍フェルト司令官池田勇人首相会談した際に、ソビエト海軍潜水艦の脅威対抗するためには対潜作戦が重要であることを指摘し日本ヘリコプター空母保有勧めていた。これに対して池田首相は「日本独自でやろうにもアメリカの援助なければヘリコプター空母は)出来ないではないか」とした上で、「長期的にみれば日本として何とかやらなくてはならぬ」と答えている。 赤城宗徳防衛庁長官積極的に推進していたこともあって、CVHに関してこのように具体的な検討がなされ、1960年昭和35年7月防衛庁当時)庁議において建造決定された。しかし同年は、いわゆる60年安保の年で政局混乱していたことから、2次防の国防会議の上そのもの見送られることとなった。また外洋出ていきたい海上自衛隊専守防衛にこだわる防衛庁当時内局とのせめぎ合い起こったこともあり、昭和36年予算および2次防へのCVH計上行なわれず、以後CVH計画正式に取り上げられることはなかった。 防衛庁防衛局長や官房長務め自身持論に基づき2次CVHなどの計画強硬に反対した海原治は、2次CVHに関して「(海上自衛隊は)日本四つの島が生きてくために何が出来るか、何をするかということじゃないですよ。やはり軍艦マーチ乗って太平洋出ていく、これが夢なんですね。それは(旧海軍から)今でも生きているんです」「私がヘリ空母沈めたことはアメリカ方にとっても衝撃だったんですね。(中略)海上自衛隊アメリカ海軍との間で決まっているものを私がご破算しちゃったわけです。だから、これは大変な問題になるわけです、彼らにとっては」と述べている。また、後に自衛艦隊司令官となった香田洋二海将は、海原防衛局長の防衛論の限界指摘する一方CVH計画についても下記のような問題点指摘している。 予算面の問題 - 100億円という高コストゆえに、他の艦隊整備ミサイル護衛艦DDG)の増勢など)を圧迫した恐れ大きい。なお、海自初のミサイル護衛艦であったあまつかぜ」(35DDG)の建造費は98億円であり、海自はその性能大きな感銘を受けつつも、その余り高コストから同型艦建造には踏み切れなかった。結局あまつかぜ以降海自たちかぜ型(46/48/53DDG)の建造まで10年間、ミサイル護衛艦建造は行わなかった。 性能面問題 - 1960年当時、まだシーキング・シリーズの最初期モデルであるHSS-2SH-3A相当)ですら実用化されておらず、ソノブイによる対潜戦ノウハウ蓄積されていないなど、艦載哨戒ヘリコプター・システムの完成度自体低く所期機能保持できたか疑問である。なお、後にDDHによる8艦8機体制が策定された際に艦載機とされたのは、シーキング・シリーズの後期型であるHSS-2B(SH-3H相当)であった

※この「対潜掃討群とCVH (2次防以前)」の解説は、「海上自衛隊の航空母艦建造構想」の解説の一部です。
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