対潜戦の指揮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/07 01:42 UTC 版)
「フレデリック・ジョン・ウォーカー」の記事における「対潜戦の指揮」の解説
1941年10月、ウォーカーは指揮権を授かると、第36護衛群(英語版)を、ビターン級スループストーク(HMS Stork, L81)から指揮を執った。この護衛群は2隻のスループと6隻のコルベットからなり、ウェスタンアプローチ管区司令部のあるリヴァプールを拠点とした。はじめ、主にジブラルタルを往来する護送船団を護衛する任務に就いた。 Uボートの脅威に対する、彼の革新的な戦術が初めて試されたのは、32隻で構成されたHG76船団を護衛した時であった。12月19日、その航路の間、5隻のUボートのうち、U-574を含む4隻はウォーカーのグループによる爆雷と激突により沈められた。HG76船団護衛におけるイギリス海軍の損失は、護衛空母オーダシティ(HMS Audacity, D10)、駆逐艦スタンレイ (HMS Stanley, I73)と2隻の商船であった。 この戦闘は大西洋の戦いにおける、輸送船団の初の勝利とされる。 1942年1月6日、殊功勲章(DSO)を受勲する。「恐るべき敵からの攻撃に晒された、我が国にとって貴重な護送船団を護衛し、その間、我らの部隊により彼らの潜水艦と航空機を破壊した、その勇気、手腕、そして決断力」("For daring, skill and determination while escorting to this country a valuable Convoy in the face of relentless attacks from the Enemy, during which three of their Submarines were sunk and two aircraft destroyed by our forces")がその理由であった。彼の隷下であった第36群は、さらに少なくとも3隻のUボートを沈めることに成功した。1942年7月、彼のDSOに最初の線章を与えられた。
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