一般貨物用
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H形 1D形飽和式テンダー機関車 1906年 アメリカンロコモーティブ社ロード・アイランド工場製 称号変遷 第1期 : 1, 2 第2期 : H形 1000, 1001 吉長譲渡 : 吉長300形 301, 302 第3期 : 吉長300形 301, 302 国線編入 : ソリシ形 6050, 6051 第4期 : ソリロ形 505, 506 諸元 動輪直径 : 1,270mm シリンダ(直径×行程) : 508mm×660mm 缶圧 : 12.7kg/cm2 火格子面積 : 3.04m2 機関車重量(運整) : 72.50t 動輪上重量(同) : 64.00t 概要 標準軌への改軌後の満鉄用機関車として、最初に発注されたグループに属する。F形とともに大連港に最初に揚陸された。満鉄の社史によればアメリカンロコモーティブ社スケネクタディー工場製で、米国ボストン・アンド・メイン鉄道の注文品とされているが、アメリカンロコモーティブ社の資料によると、同社ロード・アイランド工場製である。同資料では注文先については不明。本線で使用後、1912年から安奉線で貨物列車に使用された。両数が少ないため運用上不便であり、1919年に吉長鉄路に譲渡され300形となった。同鉄路が満洲国鉄に編入されてからはソリシ形、1938年の車両称号改正でソリロ形となった。 第二次世界大戦後の動向 旧H形2両を含むソリロ形8両は1942年の記録には残っているが、中華民国への引渡された機関車には含まれておらず、この間に他鉄道に譲渡か廃車されたものと考えられる。戦後、ソリロ形507が韓国国鉄で使用されたという記録があり、朝鮮総督府鉄道局に譲渡されたものと考えられる。 ソリイ形 1D形飽和式テンダー機関車 1907年 - 1908年 アメリカンロコモーティブ社クック工場製 称号変遷 第1期 : 3 - 7 第2期 : H1形 1002 - 1032, 1053 - 1067 改番 : H1形 1002 - 1047 第3期 : ソリイ形 1002 - 1047 国線譲渡 : ソリナ形 6200 - 6214 第4期 : ソリイ形 1 - 26, 501 - 515 諸元(新製時) 動輪直径 : 1,270mm シリンダ(直径×行程) : 559mm×660mm 缶圧 : 12.7kg/cm2 火格子面積 : 3.18m2 機関車重量(運整) : 77.80t 動輪上重量(同) : 69.70t 諸元(過熱化) 動輪直径 : 1,270mm シリンダ(直径×行程) : 560mm×660mm 缶圧 : 12.7kg/cm2 火格子面積 : 3.16m2 機関車重量(運整) : 78.56t 動輪上重量(同) : 69.97t 概要 標準軌への改軌後の満鉄用機関車として、最初に発注されたグループに属する。当初は本線で、1912年頃から安奉線でも使用された。M形(ミカイ形)やP形(デカ形)の入線後は安奉線で貨物列車と混合列車を牽引した。1923年 - 1925年にかけて過熱式に改造されている。1927年 - 1931年の間に17両が撫順炭鉱に転属された。また、一部は1931年に金福鉄路で使用された。満洲事変当時は臨時装甲列車や軍用列車を牽引して他の鉄道に入線したものもあった。1933年には1002が陸軍省に譲渡され、装甲されて、九四式装甲列車の試作列車に使用された。1934年 - 1936年頃には北鮮線でも使用された。1933年 - 1936年にかけて満洲国鉄線に15両が譲渡され、ソリナ形となって新線建設工事に用いられた。これらは1938年の車両称号改正でソリイ形に統一されている。その後、撫順炭鉱からの返還などにより、1942年時点で満鉄線所属のソリイ形は26両となっていた。 第二次世界大戦後の動向 満鉄線所属機、満洲国鉄線所属機を合わせて錦州 (5) 、牡丹江 (4) 、哈爾浜 (1) 、斉斉哈爾 (5) の各鉄道局管内と、建設事務所に貸出中 (3) のもの、他鉄道に貸出中 (3) のもの、その他 (3) の23両が存在し、中華民国に引渡された。残りの18両は専用線や私設鉄道、華北交通などへ譲渡や廃車されたものと考えられる。 ソリニ形 1D形飽和式テンダー機関車 1907年 ボールドウィン機関車工場製 称号変遷 第1期 : 34 - 53 第2期 : H2形 1048 - 1067 第3期 : ソリニ形 1048 - 1067 第4期 : ソリニ形 1 - 20 諸元(新製時) 動輪直径 : 1,372mm シリンダ(直径×行程) : 533mm×711mm 缶圧 : 12.7kg/cm2 火格子面積 : 4.36m2 機関車重量(運整) : 78.23t 動輪上重量(同) : 68.58t 諸元(過熱化) 動輪直径 : 1,370mm シリンダ(直径×行程) : 560mm×711mm 缶圧 : 12.7kg/cm2 火格子面積 : 4.36m2 機関車重量(運整) : 78.23t 動輪上重量(同) : 68.58t 概要 標準軌への改軌後の満鉄用機関車として、最初に発注されたグループに属する。当初は本線で使用されたが、M形(ミカイ形)やP形(デカ形)の入線後は安奉線で貨物列車と混合列車を牽引した。1927年頃には過熱式に改造されると同時に、シリンダ直径の拡大とワルシャート弁装置への交換が行われた。1927年には5両が四洮鉄路に貸出された。1935年 - 1936年頃には北鮮線でも使用された。 第二次世界大戦後の動向 奉天 (15) 、哈爾浜 (1) の各鉄道局管内と、他鉄道に貸出中 (2) のもの18両が存在し、中華民国に引渡された。残りの2両の動向は不明である。 ソリサ形 1D形飽和式テンダー機関車 1910年 - 1911年 ベイヤー・ピーコック社製 称号変遷 第2期 : H3形 1068 - 1107 第3期 : ソリサ形 1068 - 1107 第4期 : ソリサ形 1 - 7, 501 - 533 諸元(新製時) 動輪直径 : 1,372mm シリンダ(直径×行程) : 546mm×711mm 缶圧 : 12.65kg/cm2 火格子面積 : 4.46m2 機関車重量(運整) : 79.86t 動輪上重量(同) : 71.50t 諸元(過熱化) 動輪直径 : 1,370mm シリンダ(直径×行程) : 572mm×711mm 缶圧 : 12.7kg/cm2 火格子面積 : 4.46m2 機関車重量(運整) : 84.411t 動輪上重量(同) : 76.08t 概要 満鉄の英貨による社債募集のため、テホサ形とともに初めてイギリスに発注された機関車である。当初は本線で使用されたが、M形(ミカイ形)やP形(デカ形)の入線後は安奉線で貨物列車と混合列車を牽引した。1920年 - 1926年の間には過熱式に改造されている。満洲事変の際は、軍用列車を牽引し他線へ進出した。うち4両は、北満鉄路に進出するため特殊外輪を装着して1,524mmに改軌され、約1年間北満鉄路で使用されたのち復元された。その後も対ソ進出を想定して装備そのものは存置された。1933年 - 1935年にかけて満洲国鉄線の営業用に13両、新線建設用に20両が譲渡され、ソリク形となった。これらはソリシ形を含めて1938年の車両称号改正でソリサ形に統一されている。 第二次世界大戦後の動向 旧ソリサ形、旧ソリシ形、ソリサ形(ペンソリ)を合わせて83両中、大連埠頭局管内 (1) 、奉天 (3) 、錦州 (2) 、吉林 (9) 、牡丹江 (23) 、斉斉哈爾 (7) の各鉄道局管内と、建設事務所に貸出中 (3) のもの、他鉄道に貸出中 (15) のもの、その他 (1) の64両が存在し、中華民国に引渡された。 ソリシ形 1D形過熱式テンダー機関車 1914年 - 1920年 南満洲鉄道沙河口工場製 称号変遷 第2期 : H4形 1200 - 1212 第3期 : ソリシ形 1200 - 1212 国線譲渡 : ソリチ形 6280 - 6292 第4期 : ソリサ形 534 - 546 諸元 動輪直径 : 1,370mm シリンダ(直径×行程) : 572mm×711mm 缶圧 : 12.7kg/cm2 火格子面積 : 4.55m2 機関車重量(運整) : 82.40t 動輪上重量(同) : 73.94t 概要 満鉄が沙河口工場(後の大連工場)で初めて製造した機関車。満鉄では初めての過熱式機関車でもあり、ソリサ形に近い仕様で英米の折衷的な形態であった。当初は6両が製造され、その後1918年 - 1920年に残りの7両が増備された。本線や安奉線で使用されたが、1931年度の記録ではあまり使用されていなかった。1933年に全機が満洲国鉄線の営業用に譲渡されてソリチ形となり、1938年の車両称号改正ではソリサ形に編入されている。 第二次世界大戦後の動向 第二次世界大戦後の動向はソリサ形の項目を参照 ソリサ形(ペンソリ) 1D形過熱式テンダー機関車 1905年 - 1907年 ボールドウィン機関車工場、ペンシルバニア鉄道アルトゥーナ工場製 称号変遷 第4期 : ソリサ形 8 - 22, 547 - 561 諸元(H6sb) 動輪直径 : 1,422mm シリンダ(直径×行程) : 559mm(または584mm)×711mm 缶圧 : 13.7kg/cm2(または14.4kg/cm2) 火格子面積 : 4.55m2 機関車重量(運整) : 92.90t 動輪上重量(同) : 82.06t 概要 これらは正式な資料が存在しないので明らかではないが、1938 - 1939年頃に米国ペンシルバニア鉄道のH6sb形機関車を中古品で購入したものと考えられる。シリンダ直径には559mmと584mmのバリエーションがあった。ペンシルバニア鉄道のソリ形ということで通称「ペンソリ」と呼ばれていた。満鉄線所属機では大石橋機関区に配置されていたものが確認されており、満洲国鉄線所属機は、朝鮮総督府鉄道局線で使用されたものもあると言われている。 第二次世界大戦後の動向 第二次世界大戦後の動向はソリサ形の項目を参照 ミカイ形 1D1形過熱式テンダー機関車 1918年 - 1928年、1933年 - 1935年(国大ミカ) アメリカンロコモーティブ社スケネクタディー工場、南満洲鉄道沙河口工場、汽車製造、川崎造船所(川崎車輛)、日本車両、日立製作所製 称号変遷 第2期 : M形 1500 - 1524 第3期 : ミカイ形 1500 - 1569 国線用 : ミカ形1-1500 - 1-1517、1518 - 1533 国線改称 : ミカナ形 6700 - 6773 第4期 : ミカイ形 1 - 70, 501 - 574 諸元(ミカイ) 動輪直径 : 1,370mm シリンダ(直径×行程) : 584mm×711mm 缶圧 : 13.4kg/cm2 火格子面積 : 5.06m2 機関車重量(運整) : 98.72t 動輪上重量(同) : 76.17t 諸元(国大ミカ) 動輪直径 : 1,370mm シリンダ(直径×行程) : 584mm×710mm 缶圧 : 13.4kg/cm2 火格子面積 : 5.06m2 機関車重量(運整) : 102.27t 動輪上重量(同) : 78.62t 概要 第一次世界大戦時の貨物輸送増加に対応するため、主として本線の奉天以南の石炭輸送などで使用する目的で製造された。当初の輸入機は25両で、その後1924年 - 1928年までに満鉄および日本の工場で増備された。満鉄の貨物輸送の主力機であり、満洲事変後はデカ形に代わって安奉線でも使用されるようになった。動輪径がソリニ - ソリシ形のものを踏襲して1370mmと小さかったため、本来の貨物輸送のほか九四式装甲列車の牽引機としても使用された。満洲国鉄線でもミカイ形の設計を採用し、1933年にはミカ形「国大ミカ」として敦図線用に34両を製造、その後ミカナ形として40両が増備された。これらは転車台の小さい満洲国鉄線用に炭水車を短くしていた。満鉄線、満洲国鉄線とも、以後の増備は改良型であるミカコ形の設計によった。1938年の車両称号改正では満鉄線ミカコ形、満洲国鉄線ミカナ形はミカイ形に統一された。 第二次世界大戦後の動向 第二次世界大戦後の動向はミカコ形の項目を参照 デカ形 1E形過熱式テンダー機関車 1919年 - アメリカンロコモーティブ社スケネクタディー工場、南満洲鉄道沙河口工場製 称号変遷 第2期 : P形 1700 - 1761 第3期 : デカ形 1700 - 1761 国線譲渡 : デカ形6900 - 6914 第4期 : デカイ形 1 - 47, 501 - 515 諸元 動輪直径 : 1,370mm シリンダ(直径×行程) : 584mm×711mm 缶圧 : 13.4kg/cm2 火格子面積 : 4.73m2 機関車重量(運整) : 88.55t 動輪上重量(同) : 77.57t 概要 第一次世界大戦時の貨物輸送増加に対応するため、主として本線の奉天以北および安奉線で使用する目的で製造された。当初の輸入機は26両で、1921年 - 1923年にかけて満鉄工場で増備された。この時点ではM形(ミカイ形)の増備は始まっておらず、P形(デカ形)が満鉄の主力貨物用機関車であった。一部は自動給炭機や給水加熱器を試験的に装備していた。1935年に15両が満洲国鉄線の新線建設用として譲渡され、1938年の車両称号改正ではデカイ形に改称された。満鉄線に残ったものは、大部分が宮原機関区に所属し渓堿線や遼宮線で使用された。 第二次世界大戦後の動向 満鉄線所属機、満洲国鉄線所属機を合わせて、奉天 (25) 、斉斉哈爾 (32) の各鉄道局管内と、他鉄道に貸出中 (5) のもの62両が存在し、中華民国に引渡された。中華人民共和国成立後は「DK1」形として1 - 70までの番号が与えられたと考えられる。1980年代に瀋陽や長春周辺で、1 - 52までのうち17両が目撃されている。 ミカコ形 1D1形過熱式テンダー機関車 1935年 - 1945年 南満洲鉄道沙河口(大連)工場、汽車製造、川崎車輛、日立製作所、大連機械、満洲車両製 称号変遷 第3期 : ミカコ形 1570 - 1587 国線用 : ミカナ形 6774 - 6899, 16700 - 16717, 16737, 16738 第4期 : ミカイ形 71 - 341, 575 - 1283 諸元(ミカコ) 動輪直径 : 1,370mm シリンダ(直径×行程) : 580mm×710mm 缶圧 : 14.0kg/cm2 火格子面積 : 5.08m2 機関車重量(運整) : 103.10t 動輪上重量(同) : 79.88t 諸元(新国大ミカ) 動輪直径 : 1,370mm シリンダ(直径×行程) : 580mm×710mm 缶圧 : 14.0kg/cm2 火格子面積 : 5.06m2 機関車重量(運整) : 103.85t 動輪上重量(同) : 79.94t 概要 満洲国成立後の貨物輸送増加のため、またデカ形を満洲国鉄に譲渡した代替用として1937年までに18両が製造された。ミカイ形を基礎とし、燃焼室と給水加熱器を装備したものであった。1938年の車両称号改正でミカイ形に編入されたが、その後も増備は続けられ、満鉄所属のミカイ形のうち、ミカコ形に相当するものは合計271両であったと考えられている。満洲国鉄線でもミカナ形の増備はミカコ形相当(「新国大ミカ」、給水加熱器は未装備)となり、729両(うち20両は華北交通に譲渡)が製造されたと考えられている。また、華北交通ミカイ形として1939年 - 1945年にかけて249両、華中鉄道KD100形として1940年 - 1941年にかけて19両が日本の工場で製造されている。 第二次世界大戦後の動向 旧ミカイ形、旧ミカコ形、旧ミカナ形を合わせて、大連埠頭局管内 (26) 、奉天 (319) 、錦州 (154) 、吉林 (185) 、牡丹江 (157) 、哈爾浜 (188) 、羅津 (6) の各鉄道局管内と、他鉄道に貸出中 (59) のもの1124両が存在し、中華民国に引渡された。朝鮮総督府鉄道局線に貸出中で韓国や北朝鮮に接収されたもの、中華人民共和国所属機で朝鮮戦争の際に韓国側に接収されたものなども存在すると考えられる。また、朝鮮戦争時に国連軍向けに日本の工場で44両のミカイ形が製造されている。中華人民共和国成立後は「MK1」形、のちに「解放 (JF) 1」形として華中鉄道、華北交通の分を合わせて1400両以上が使用された。番号は1 - 2100までが与えられたと考えられる。1950年には四方工場で、既存の部品を用いた組み立てが始まり (2101 - 2120)、1952年 - 1960年には四方、大連、斉斉哈爾の各工場で455両 (2121 - 2500, 4001 - 4101) が増備されている。貨物列車用機関車の主力として中国全土で使用された。産業用に使用されているものは、2000年代に入っても現役のものがあった。北京の中国鉄道博物館の5両をはじめ、保存機も多い。 ミカサ形 1D1形過熱式テンダー機関車 1934年 - 川崎車輛、汽車製造、日立製作所、日本車両製 称号変遷 第3期 : ミカサ形 1400 - 1442 国線用 : ミカロ形 6600 - 6647 第4期 : ミカロ形 1 - 43, 501 - 548 諸元 動輪直径 : 1,370mm シリンダ(直径×行程) : 530mm×710mm 缶圧 : 14.0kg/cm2 火格子面積 : 4.07m2 機関車重量(運整) : 87.10t 動輪上重量(同) : 64.10t 1933年、ソリ形が相次いで満洲国鉄線へ転属したため、代替用として製造された。ミカイ形より一回り小型の軽ミカドで、軽貨物列車の牽引と入換に使用された。1421 - 1442は、入換運転を容易にするために後部に傾斜した炭水車を持つ。当初は入換用であったが、後にブースター装置を搭載し北満鉄道の勾配線にも使用された。1938年の車両称号改正ではミカロ形に統一された。一方、満洲国鉄線では、1934年にミカロ形「国小ミカ」として満鉄ミカサ形の設計により26両が製造された。1935年に増備された22両は一部改良があり「新国小ミカ」と呼ばれた。 第二次世界大戦後の動向 第二次世界大戦後の動向はミカロの項目を参照 ミカロ形 1D1形過熱式テンダー機関車 1935年 - 1944年 川崎車輛、汽車製造、日立製作所、日本車両製、南満洲鉄道沙河口(大連)工場、大連機械製 称号変遷 第3期 : ミカロ形 1480 - 1499, 11400 - 11401 国線用 : ミカロ形 6648 - 6699, 16600 - 16638 第4期 : ミカロ形 44 - 101, 549 - 639, 645 - 724 諸元 動輪直径 : 1,370mm シリンダ(直径×行程) : 530mm×710mm 缶圧 : 14.0kg/cm2 火格子面積 : 4.57m2 機関車重量(運整) : 88.29t 動輪上重量(同) : 66.26t ミカサ形をベースにプレナ形やパシサ形(2代目)と同様、北鮮線で使用するために製造された。朝鮮北部の低カロリーの褐炭を使用するため、ミカサ形より火格子面積を0.5m2大きくしている。その後、1938年 - 1939年に増備があり、北鮮線以外の満鉄線でも使用された。大連の大連機械で製造された最初の機関車である。満洲国鉄線では1936年以降、満鉄ミカロ形と同じく火格子面積の大きな缶を持つミカロ型を171両増備した。これらはソリサ形同様、特殊外輪を装着する1,524mmへの軌間変更装置を装備していた。満洲国鉄線ミカロの640 - 644の欠番は、華北交通向けとなった可能性が考えられる。また、1938年 - 1939年、1943年 - 1944年にかけて華北交通ミカロ形として汽車製造で72両が製造されている。華北交通ミカロ形はこれを含めて推定約120両が存在したものと考えられる。 第二次世界大戦後の動向 旧ミカサ形、旧ミカロ形を合わせて320両のうち、大連埠頭局管内 (20) 、奉天 (38) 、錦州 (32) 、牡丹江 (68) 、哈爾浜 (29) 、斉斉哈爾 (50) の各鉄道局管内と、他鉄道へ貸出中 (75) のもの312両が存在し、中華民国に引渡された。残りの8両は満洲国鉄線所属機であり、他の鉄道へ譲渡された可能性が考えられる。中華人民共和国成立後は「MK6」形、のちに「解放 (JF) 6」形として使用され、3001 - 3475 ( - 3600?) までの番号が与えられたと考えられる。朝鮮戦争とベトナム戦争でそれぞれ北朝鮮とベトナムに数十両が送られた。産業用に使用されたものは1990年代終盤まで現役であった。現在は、3022が北京の中国鉄道博物館に、3329が瀋陽蒸気機関車博物館に保存されている。 モガイ形 (第3期:モガ形) 1Cテンダー機関車で炭水車は2軸ボギー。520は旧瀋海鉄路51形で1921年唐山工廠製、521 - 524は旧瀋海鉄路52 - 55形で1927年 - ボールドウィン社製。528 - 533は吉長鉄路101 - 106形で、1911年唐山工廠製。
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