レ‐ミゼラブル【(フランス)Les Misérables】
レ・ミゼラブル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 23:11 UTC 版)
『レ・ミゼラブル』(フランス語: Les Misérables)は、フランスの歴史小説。ヴィクトル・ユーゴーによって1862年に出版された。日本では1902年に黒岩涙香によって『噫無情』(ああむじょう)として『萬朝報』に連載された。
- ^ 2018年のイギリスBBC版のテレビドラマ『レ・ミゼラブル』では、第二部第一編の末である戦場でテナルディエがポンメルシーから盗みを働くシーンから始まる。
- ^ 当時と現在では物品により物価が異なるが、仮に食費基準で1フラン = 2,000円として現在の価格に換算すると、20万円。
- ^ 脚注2.と同様に換算すると、300万円。
- ^ プティ・ピクピュス通り62番地にある常時聖体崇拝を基本思想とするベルナール派修道院。修道院がなくなった後、パリ改造によりリヨン駅になったとされる。なお、プティ・ピクピュス通りという地名はユーゴーの創った架空の地名である。
- ^ 鹿島茂(『「レ・ミゼラブル」百六景』)から。
- ^ 脚注2.と同じように計算すると11万4000円。
- ^ 脚注2.と同じように計算すると、約12億円。
- ^ 1823年までは宿屋があり、マリユスが父の遺言に従って宿屋を訪ねた1827年には宿屋は破産していた。
- ^ ロピタル大通り (Paris-l'Hôpital) 50番・52番地にある巨大なあばら家。生活苦にあえぐ者ばかりが住まう。管理人はビュルゴン婆さん (mame Burgon)。ヴァルジャンとコゼットが一時住んでいた頃の管理人の老婆の後を継いだ。
- ^ 脚注2.と同様に換算すると、4,000万円。
- ^ 脚注2.と同様に換算すると、月2万円。
- ^ この石膏像は1846年に撤去され、7月革命記念碑に建て替えられた。
- ^ “Gamin”。ユーゴーの著作『クロード・クー』で初めて登場した、浮浪少年を意味するユーゴーの造語。
- ^ 脚注2.と同様に換算すると、月16万円
- ^ 脚注2.と同様に換算すると6000円。
- ^ 鹿島茂『「レ・ミゼラブル」百六景』など
- ^ Mould, Michael, The Routledge Dictionary of Cultural References in Modern French, Taylor & Francis, 2011, p.112.; . Berg, William, Imagery and Ideology: Fiction and Painting in Nineteenth-Century France, Associated University Presse, 2007, p.106.
- ^ 事実、初版本は数日で売り切れたという。これに関してはユーゴーの項も参照。
- ^ 『ギネスブック'96(日本語版)』ピーター・マシューズ(編)、騎虎書房、1996年、240頁。ISBN 4-88693-604-0。
- ^ ミュージカル版を「原作」としており、予告編ではユーゴーの名前がなく、「原作 ブーブリル&シェーンブルク」とミュージカル版の脚本家の名前のみが挙げられていた(公開後は「作:アラン・ブーブリル&クロード=ミッシェル・シェーンベルク、原作:ヴィクトル・ユゴー」の表記に改められた)。
- ^ “主演・松本幸大が激動のフランス描く「レ・ミゼラブル~惨めなる人々~」上演中”. ステージナタリー. ナターシャ (2021年6月18日). 2021年7月26日閲覧。
- ^ “舞台「レ・ミゼラブル」幕開けに松本幸大「レミゼファンの方々にも観てほしい」”. ステージナタリー. ナターシャ (2022年5月21日). 2021年7月27日閲覧。
- ^ “松本幸大が舞台「レ・ミゼラブル~惨めなる人々~」で3年目のジャン・バルジャンに挑む”. ステージナタリー. ナターシャ (2023年5月19日). 2023年5月20日閲覧。
- ^ “ディーン&井浦新主演「レ・ミゼラブル」SPドラマ化!山本美月、吉沢亮ら出演”. シネマトゥデイ (株式会社シネマトゥデイ). (2018年11月20日) 2018年11月20日閲覧。
レ・ミゼラブル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 22:48 UTC 版)
1832年6月5日、ヴィクトル・ユーゴーが、レアール(フランス語版)方面に銃声を聞いたのは、テュイルリー庭園で戯曲を執筆しているときであった。公園は閉鎖され、管理人はわざわざ解錠してユーゴーを外に出したが、彼は家に急いで帰らず、閑散とした通りを音の方向へ向かった。その時には、パリの半分は叛徒の占拠するものとなっていた。レアールのほとんどはバリケード封鎖されていたので、ユーゴーはモンマルトルを北に向かい、サーモン小道を右に進み、ブ・デュ・モンド通り前で曲がった。路地を半ばも行くと、両側の鉄格子から威嚇の銃口が突きつけられた。店という店は閉まっていたので、バリケードに囲まれたユーゴーは、壁に向け身を投じ、柱の間に身を隠した。15分の間、両側から銃弾が飛び交った。 1862年に出版された『レ・ミゼラブル』は、ナポレオンの敗退から六月暴動までの20年を描き、六月暴動は終章のクライマックスとなっている。ユーゴーは歯に衣着せぬ活動的なレプブリカンであったので、革命を支持していたことは疑いない。 カリスマ的なアンジョルラスに率いられ、パリの学生と貧民層により組織され、ラマルク将軍の死亡前夜に暴動を謀議する秘密結社『ABC(ア・ベ・セー)の友』は、実在の秘密結社『人権協会』の下部組織として描かれているし、パリの狭い路地のバリケードは現実の体験から描写されたものである。ABCの友は、彼らの拠点とした居酒屋コラント (Corinthe) のあるサン=ドニ通り(フランス語版)に出る、シャンヴルリー通り(rue de la Chanvrerie, 現在のランブュトー通り(フランス語版) (Rue Rambuteau))にバリケードを築いた。 物語のクライマックスの場面として、この暴動に主要登場人物が会し、多くの者が斃れるのである。 フィクションながら、『レ・ミゼラブル』がこのあまり目立たなかったであろう事件を有名にしたといっても過言ではない。
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