美 美という概念の射程

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 人文 > 哲学 > 哲学 > 美の解説 > 美という概念の射程 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/19 16:06 UTC 版)

美という概念の射程

美という価値領域を巡る理論は、主に二つの方向を取る。ひとつは他の価値領域である、と美の関係である。もうひとつは美という価値領域そのものの細分化である。

他の価値領域と美の関係

美がよいものとされる限りにおいて、他のよいものとの関係が問われる。古代より、これは美とあるいはとのかかわり、あるいは美と快すなわち何かあるよいものによってもたらされる感覚とのかかわりとして問題化されてきた。

カロカガティア

古代において、価値領域の自律は自明のことではなく、むしろ各価値領域の共通性が追求される事が普通であった。語源的に「美しい」を表す言葉はしばしば「良い」と共通し、現代でも多くの言語において「美しい」を示す言葉は、日常語においてはしばしば「良い」「快い」を含意して使われる。全体にこのような価値連関において、美は善と関連付けられることが多く、道徳的なものがもつよさのひとつとして考えられる[要出典]

西洋哲学が始まったギリシアにおいてもこの事情は同様である。「美しい人」(ho kalos)は容姿の美しさよりも、その社会的地位、能力、うまれのよさを指すことばであり、「美しい人」とはポリスの市民としての倫理規範を体現した「見事な人」であった[注 4]

こうした「美」の極めて倫理的な色彩をよく表す概念が「善美」(kalokagathia カロカガティア)である。善を表す語と美を表す語から造語されたこの語は、ギリシア的人間が実現すべき理想像として提示されている[要出典]

ヘーシオドスによるパンドーラーの神話では、この女性の容姿は女神のように美しく、心は犬のように陋劣で、そのために世に災悪(kakia)が満ちあふれた(『仕事と日々』)。すなわち、美が感覚的に快である程度ならば、善(agathon)にでなく罪悪、災悪に結びつく可能性があると考えられるので、最初は美は徳から遠いものとしていわばカロカカキアが一般に認められていた[7] [8]。しかし容姿でなく徳の美、精神の美を認める場合がある(「汚れも咎もなく死ぬことこそ美しい」(アイスキュロステーバイ攻めの七将』1011))。仮にこの、徳(arete)としての美をプラトンのように根拠づけ得るならば、美(kalon)と善(agathon)とはひとつになり、カロカガティア(kalokagathia)なる理念が成立すると考えられたのである[9]。ただし、この語は、クセノポーンに由来し[9]、プラトンにおいてはkalos kagathosなる慣用句が多用されている。

真理との関係

また美は真理ともしばしば関係させられる。プラトンプロティノスにおいて、美はときに哲学者(愛知者)がしるべき最高の対象とされる。このような文脈下では、美は真と同一視されている、ないし美を知ることは真なる知識の枢要をなすと考えられている。このような場合、善と知もまた本質的には同じものであるとされることが多い。

そこから、美は独立の価値領域ではなく善や真に従属的なものであり、ここから逆に善や真を表現するために美をもちいるという発想がうまれてくる。宗教芸術や王侯の権力を示現するための装飾などは、このような美の利用といえる。

美の自律性

美を独自美の感受が感性的なものに直接関わることから、美が善や真とは違う領域であることは、古代から意識されてきた。プラトンには詩があたえる見かけの快さと真のよさの区別についての議論がみられる(『国家』)。人間の理性的能力の分類はすでにアリストテレスによって行われているが(『ニコマコス倫理学』、そこでは真理を知る能力としての知、倫理的実践を行う能力としての思慮、ものを作り出す能力としての技術知が区別される(ただしここでは技術知はとくに美しいものだけに関わる能力ではなく、制作一般の能力である)。しかし古代には美が独自の領域であるという主張は積極的にはなされなかった。

美が固有の能力であるとする立場の確立は、感性に独自の尊厳を与える試みと並行している。アルフレッド・ボイムラーは17世紀を「感性の時代」と呼び、この時代の感覚論や趣味論に、後の美的自律性の把握の契機を見ている。

カントによって美の自律性(ド Autonomie)は確立する。カントは美と道徳の関係を主張したが、しかし各領域の自律性の確立が伝統的な価値領域のもっていた緩い交流を寸断したことは否定できない。フリードリヒ・シラーはこうしたカントの厳格主義に抵抗を感じ、美と倫理の積極的な関係を主張した(『美的教育論』など)。美学者クーノ・フィッシャーはシラーの試みを「人間論的美学」と呼んでいる。しかし全体としては、美の自律性を主張し擁護する動きが近世から近代にかけては主流となる。こうした傾向は多様な美を表現する可能性を芸術家に開いたものの、その表現が時代にとっては受け止めがたくなるという副産物を伴った。その反動として、現代芸術においては、ふたたび社会と芸術の接近がいかにして可能であるかが問われている。しかしテーゼとしての美の自律性は、ほとんど疑われることなく通交しているということができよう。

美的範疇

西欧においては、特に近世以降、美を細分化し、それぞれに独自な定義を与えるとともに、相互の関係を定式化しようとする動きがある。こうした細分化された美的なものの領域を美的範疇と呼ぶ。

美的範疇の内実は時代と論者によって異なるが、代表的な美的範疇には、美のほかには優美崇高フモール(滑稽)・イロニーなどがある。日本の芸道論(茶道、歌学)あるいは国学でいう、わび・さび・しをり・もののあはれなども美的範疇の一種である。 醜は伝統的には美の対立概念である(美の欠如)と考えられた。このため醜を芸術において表現するということはほとんどの論者から取り上げられなかった。しかし近代には醜もまた積極的な価値をもつ美的範疇のひとつであるという主張がなされ、芸術において醜を表現する試みも登場した。


注釈

  1. ^ 今道友信は、より厳密な表現においてであるが、自然・技術・芸術・人格存在のありようにおいて、「美の位相差」を論じている。
  2. ^ これらは別の「美しいもの」によって例示可能である。
  3. ^ 数学者が感じる美についての説明は「数学的な美」という詳細な記事が書かれている。
  4. ^ 古代ギリシア語カロス(kalos)は、現代日本語の「美しい」とは意味の異なる言葉である。英語の beautiful に「見事な」という意味があるように、言葉の概念が対応しない例である。

出典

  1. ^ 麗しい/美しい(うるわしい) とは? 意味・読み方・使い方”. goo辞書. 2024年2月17日閲覧。
  2. ^ a b c 広辞苑第六版【美】
  3. ^ a b c d ブリタニカ百科事典【美】
  4. ^ 桑原武夫,加藤周一 編 1969, p. 13.
  5. ^ 「はしがき」『岩波講座哲学 (6)芸術』、i。巻頭の「はしがき」において、編者は、「大和の国は美しく、小野小町は美しく、方程式のこの解法は美しいという」と記している。(引用)
  6. ^ a b 「はしがき」『岩波講座哲学・芸術』、i。
  7. ^ 今道友信「西洋における芸術思想の歴史的展開(古代・中世)」『岩波講座哲学・芸術』、p.39。パンドーラーキルケーヘレネーなどの「美しき者」はまた同時に災悪(カキアー)であった。
  8. ^ 今道友信「西洋における芸術思想の歴史的展開(古代・中世)」、p.54。「カロカカキア」というギリシア語は存在しない。『理想』に掲載した論文中で今道が造語した。
  9. ^ a b 今道友信「西洋における芸術思想の歴史的展開(古代・中世)」『岩波講座哲学・芸術』、p.39。
  10. ^ 張世超; 孫凌安; 金国泰; 馬如森 (1996), 金文形義通解, 京都: 中文出版社, pp. 910–1 
  11. ^ 季旭昇 (2014), 説文新証, 台北: 芸文印書館, p. 299, ISBN 978-957-520-168-5 
  12. ^ 葛亮 (2022), “説“美”“好”――正確理解会意字”, 漢字再発現――従旧識到新知, 上海: 上海書画出版社, ISBN 978-7-5479-2884-4 
  13. ^ 黄徳寛 (2007), 古文字譜系疏証, 北京: 商務印書館, p. 3188, ISBN 978-7-100-05471-3 
  14. ^ 禤健聡 (2017), 戦国楚系簡帛用字習慣研究, 北京: 科学出版社, pp. 212–3, ISBN 978-7-03-052085-2 
  15. ^ 徐超 (2022), 古漢字通解500例, 北京: 中華書局, pp. 120–1, ISBN 978-7-101-15625-6 


「美」の続きの解説一覧




美と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「美」の関連用語



3
94% |||||

4
94% |||||

5
94% |||||

6
94% |||||

7
94% |||||

8
94% |||||

9
94% |||||

10
94% |||||

美のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



美のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの美 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS