麻原の子女
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麻原には、愛人が100人以上いたとされ、愛人と「イニシエーション」と称する性行為を行い、妊娠させた結果、妻の知子の子である6人を含めて、12人ないし15人ほどの子がいるとされる。麻原は在家信者なので子作りをしてもいいとされていた。出生時に麻原が阿含宗にいたことや、「最終解脱」前に生まれたことが理由で知子の子の間でもステージ(階級)は異なる。 四女によると麻原は、村井秀夫または上祐史浩と長女、上祐と次女、石川公一と三女、遠藤と四女、新実と石井久子に産ませた娘を婚姻させる計画をたてていたという。また、最終解脱するにはグルの娘との合一が必要とされていた。 当項目では、知子の子である6人を述べる。麻原の警備担当者によると、麻原は子煩悩で、おもちゃを沢山買い与えたり、クーラーを用意したりして、蜂の巣ベッドに押し込められていた出家信者達や、カビの生えたものを食べていた出家信者の子供達とは違い、格段に良い生活をさせていた。美女3人が女中として一家の面倒をみていた。 麻原一家は上祐史浩率いるひかりの輪とは対立関係にあり、ひかりの輪側は、松本知子・次女・三女は上祐の脱麻原路線に反対していた、四女は2007年時点において麻原崇拝グループを結成しようとしていたと主張している。さらに家族内でも対立があり、特に四女と次女・三女の主張が異なるなど関係が悪化していた。 また知子の影響下にあるAlephが次男を役員名簿に登録することについて、麗華が教団幹部に反対を呼び掛けたことが「山田らの集団」分裂の要因になったと、ひかりの輪と公安調査庁は分析している。(麗華は関与を否定した。) 長女:松本美和(みわ) 1978年(昭和53年)生まれ。ホーリーネームはドゥルガー。教団での地位は正悟師。省庁制の際には流通監視省大臣であった。 次女:松本宇未(うみ、仮名) 1981年(昭和56年)生まれ。ホーリーネームはアジタナーター・カーリー。2000年(平成12年)1月に長男を連れ去ろうとした事件で2月19日に逮捕され、保護観察処分となった。 麻原詐病説などについて四女と真っ向から対立し、四女はマスコミ受けの良い話をして金を得ていると批判している。 2021年7月5日、最高裁の決定により、麻原の遺骨の引受人に決まる。 三女:松本麗華(りか) 1983年(昭和58年)4月生まれ。教団での地位は正大師でホーリーネームはアジタナーター・ウマー・パールヴァティー・アーチャリー。省庁制の際には法皇官房長官であった。 2000年(平成12年)1月に長男を連れ去ろうとした事件で2月19日に逮捕され、保護観察処分となった。 2004年(平成16年)3月に合格した和光大学から入学拒否されたとして提訴し、東京地裁は「入学拒否は違法」と認定、和光大学に30万円の慰謝料支払を命じた。 2013年(平成25年)7月からブログを立ち上げ、麻原を案ずる文面をつづっている。 2015年3月19日、NNN系列の報道番組『NEWS ZERO』のインタビューで出演。初めて松本麗華という実名で登場する。 2015年3月20日、地下鉄サリン事件から20年目の日に松本麗華名義で手記『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』(講談社、ISBN 978-4062194808)を上梓。ニコニコ生放送に出演して田原総一朗と対談した。 四女:松本聡香(さとか、仮名) 1989年(平成元年)生まれ。ステージは正大師よりも上の正報師。茨城県龍ケ崎市に転居した時は、市の方針でその市の学校の転入拒否で2人の弟共々学校にも通えなかったという。協力者達のお蔭で何とか学校に通えるようになったものの、学生時代はいじめに遭い、中学の校長からは「父親の所行を考慮すれば貴方は死んでも仕方のない人間だ」と評された。 2006年(平成18年)に教団との関係を保つ家族のあり方に疑問を抱き、後見人となった江川紹子の下に身を寄せる(2007年に江川は後見人を辞任している)。 麻原に死刑判決が下る2004年(平成16年)までは地下鉄サリン事件の詳細を知らず、自らインターネットや書籍を調べて自分に対する世間の冷たい視線の背景に初めて気付いた。その後はオウムや一家と絶縁し、自殺未遂を繰り返す。ネットカフェ難民やホームレスのような生活をしながらも贖罪の道を模索している。 2010年(平成22年)、ペンネーム「松本聡香」名義で著書『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』(徳間書店、ISBN 978-4198627539)を刊行。 2014年(平成26年)のインタビューにおいても、自殺未遂が続いていることを明かし、「死にたいというよりも死ななくてはいけない」「オウム事件について知ってからは、幸せとか喜びを感じるたびに、オウム真理教は普通の人のそういう喜びを奪ってしまったのだなと感じざるをえない」と語った。 三女の松本麗華については、2015年3月20日にFNNの取材に対し、「姉は被害者に対して謝罪していない」「本の内容はでたらめで私の知っている真実とは異なる」と語った。 2017年10月に実父・麻原彰晃と実母・松本知子に対して相続廃除を申請し、横浜家裁が認める審判をした。審判では両親が適切な養育をしなかったことや犯罪を行ったことで、四女が「重大な不利益を被り、現在もその影響が続いている」と認定された。 長男 1992年(平成4年)生まれ。教団から皇子、猊下の称号を与えられた。1996年(平成8年)6月に教団の教祖となる。 四女と次男同様学校に籍を置くことが許されず、ほとんど学校に通わせて貰えなかったという。姉や弟共々晴れて2001年(平成13年)4月から正式に学校に通うことになったが、始業式の日はテレビ局や新聞記者等が駆け寄ったため、協力者が追い払うことになった。学校生活では、次男同様友達は出来たようである。 2014年10月24日、Alephに対し、名誉棄損による損害賠償4000万円の請求、ならびに写真と名前の無断使用の禁止を求める提訴を東京地裁に起こす。訴状ではAlephと密接な関係にあり、教祖になるかのように扱われ大きな精神的苦痛を受けたとした。 この他、テレビ東京に対しても父智津夫の後継者のように報道されたとして訴訟を起こしたが、2018年3月15日に敗訴。 次男 1994年(平成6年)生まれ。教団から皇子、猊下の称号を与えられた。1996年(平成8年)6月に教団の教祖となる。 小学1年生は1学期しか登校しておらず、その後は茨城県龍ケ崎市に引越し四女と長男同様学校に通えなかったが、協力者のお蔭で学校に通うことが出来た。しかし、約8か月も学校に通えていない時期が続いていたため、小学2年生から学校生活を正式にスタートした。 2004年(平成16年)秋、拘置所で麻原被告と対面し「会えてうれしいです」と声をかけたが、返事はなかった。 2006年(平成18年)に春日部共栄中学校に合格したものの、「麻原の息子」だという理由で入学を拒否された。次男らは、憲法で禁止された不当な差別によって精神的苦痛を受けたとして、共栄中学校に損害賠償を求める訴えを起こした。
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