麻原の子女とは? わかりやすく解説

麻原の子女

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 23:26 UTC 版)

麻原彰晃」の記事における「麻原の子女」の解説

麻原には、愛人100人以上いたとされ、愛人と「イニシエーション」と称する性行為行い妊娠させた結果、妻の知子の子である6人を含めて12人ないし15人ほどの子がいるとされる麻原在家信者なので子作りをしてもいいとされていた。出生時麻原阿含宗にいたことや、「最終解脱前に生まれたことが理由知子の子の間でもステージ階級)は異なる。 四女によると麻原は、村井秀夫または上祐史浩長女上祐次女石川公一三女遠藤四女新実石井久子に産ませた娘を婚姻させる計画をたてていたという。また、最終解脱するにはグルの娘との合一が必要とされていた。 当項目では、知子の子である6人を述べる。麻原警備担当者によると、麻原子煩悩で、おもちゃを沢山買い与えたりクーラー用意したりして、蜂の巣ベッド押し込められていた出家信者達や、カビ生えたものを食べていた出家信者の子供達とは違い格段に良い生活をさせていた。美女3人が女中として一家の面倒をみていた。 麻原一家上祐史浩率いひかりの輪とは対立関係にあり、ひかりの輪側は、松本知子次女三女上祐の脱麻原路線反対していた、四女2007年時点において麻原崇拝グループ結成しようとしていたと主張している。さらに家族内でも対立があり、特に四女次女三女主張異なるなど関係が悪化していた。 また知子影響下にあるAleph次男役員名簿登録することについて、麗華教団幹部反対呼び掛けたことが「山田らの集団分裂要因になったと、ひかりの輪公安調査庁分析している。(麗華関与否定した。) 長女:松本美和(みわ) 1978年昭和53年生まれホーリーネームドゥルガー教団での地位正悟師省庁制の際には流通監視省大臣であった次女:松本宇未(うみ、仮名1981年昭和56年生まれホーリーネームはアジタナーター・カーリー。2000年平成12年1月長男連れ去ろうとした事件2月19日逮捕され保護観察処分となった麻原詐病説などについて四女真っ向から対立し四女マスコミ受けの良い話をして金を得ていると批判している。 2021年7月5日最高裁決定により、麻原遺骨引受人に決まる。 三女:松本麗華(りか) 1983年昭和58年4月生まれ教団での地位正大師ホーリーネームはアジタナーター・ウマー・パールヴァティー・アーチャリー。省庁制の際には法皇官房長官であった2000年平成12年1月長男連れ去ろうとした事件2月19日逮捕され保護観察処分となった2004年平成16年3月合格した和光大学から入学拒否されたとして提訴し東京地裁は「入学拒否違法」と認定和光大学30万円慰謝料支払命じた2013年平成25年7月からブログ立ち上げ麻原案ずる文面つづっている。 2015年3月19日NNN系列報道番組NEWS ZERO』のインタビュー出演初め松本麗華という実名登場する2015年3月20日地下鉄サリン事件から20年目の日に松本麗華名義手記止まった時計 麻原彰晃三女アーチャリーの手記』(講談社ISBN 978-4062194808)を上梓ニコニコ生放送出演して田原総一朗対談した四女:松本聡香(さとか、仮名1989年平成元年生まれステージ正大師よりも上の正報師。茨城県龍ケ崎市転居した時は、市の方針でその市の学校転入拒否2人の弟共々学校にも通えなかったという。協力者達お蔭で何とか学校通えようになったものの、学生時代はいじめに遭い中学校長からは「父親所行考慮すれば貴方は死んで仕方のない人間だ」と評された。 2006年平成18年)に教団との関係を保つ家族のあり方疑問抱き後見人となった江川紹子の下に身を寄せる2007年江川後見人辞任している)。 麻原死刑判決が下る2004年平成16年)までは地下鉄サリン事件詳細知らず、自らインターネット書籍調べて自分対す世間冷たい視線背景初め気付いたその後オウムや一家と絶縁し自殺未遂繰り返すネットカフェ難民ホームレスのような生活をしながら贖罪の道を模索している。 2010年平成22年)、ペンネーム松本聡香名義著書『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』(徳間書店ISBN 978-4198627539)を刊行2014年平成26年)のインタビューにおいても、自殺未遂続いていることを明かし、「死にたいというよりも死ななくてはいけない」「オウム事件について知ってからは、幸せとか喜び感じるたびに、オウム真理教は普通の人のそういう喜び奪ってしまったのだなと感じざるをえない」と語った三女松本麗華については、2015年3月20日FNN取材対し、「姉は被害者に対して謝罪していない」「本の内容はでたらめで私の知っている真実とは異なる」と語った2017年10月実父麻原彰晃実母松本知子に対して相続廃除申請し横浜家裁認め審判をした。審判では両親適切な養育をしなかったことや犯罪行ったことで、四女が「重大な不利益被り、現在もその影響続いている」と認定された。 長男 1992年平成4年生まれ教団から皇子猊下称号与えられた。1996年平成8年6月教団教祖となる。 四女次男同様学校籍を置くことが許されず、ほとんど学校通わせ貰えなかったという。姉や共々晴れて2001年平成13年4月から正式に学校に通うことになったが、始業式の日はテレビ局新聞記者等が駆け寄ったため、協力者追い払うことになった学校生活では、次男同様友達出来たようである。 2014年10月24日Aleph対し名誉棄損による損害賠償4000万円請求ならびに写真と名前の無断使用禁止求め提訴東京地裁起こす訴状ではAleph密接な関係にあり、教祖になるかのように扱われ大きな精神的苦痛受けたとした。 この他テレビ東京に対しても父智津夫の後継者のように報道されたとして訴訟起こしたが、2018年3月15日敗訴次男 1994年平成6年生まれ教団から皇子猊下称号与えられた。1996年平成8年6月教団教祖となる。 小学1年生1学期しか登校しておらず、その後茨城県龍ケ崎市引越し四女長男同様学校通えなかったが、協力者お蔭で学校に通うことが出来た。しかし、約8か月学校通えていない時期続いていたため、小学2年生から学校生活正式にスタートした2004年平成16年)秋、拘置所麻原被告対面し会えうれしいです」と声をかけたが、返事はなかった。 2006年平成18年)に春日部共栄中学校合格したものの、「麻原息子」だという理由入学拒否された。次男らは、憲法禁止され不当な差別によって精神的苦痛受けたとして、共栄中学校損害賠償求め訴え起こした

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