教団との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 23:02 UTC 版)
オウム真理教時代は、麻原に次ぐステージの正報師であった。 2000年、事件を起こした責任を取る形で、兄弟はオウム真理教を脱会。 2006年、悲惨な事件を引き起こした者の身内なのに、教団から得たお金で何食わぬ顔で贅沢をして暮らしているということを、おかしいと思うようになり、家出をしたとインタビューで述べているが、自著では教団内部の権力闘争が家出の直接の原因、母に監禁されそうになったため荷物をまとめて家から避難したと書いており、家出の理由ははっきりしない。なお、姉は、「自分のいうことだけを聞いてくれる人を集めたい」と言って教団のトップに立つために家出をしたと言う。 家出をした時、家族はもちろん、教団関係者とも決別したと自著では述べている。ジャーナリストの江川紹子に四女が送ったメールには、<もう父の娘という理由で誰かから援助を受けて生きたくない>と書かれていた。 しかし、家出後も信者と連絡をとり、信者の紹介でしばらくは元信者の家を転々とする生活をする。また、家を出てほどなく、上祐史浩、野田成人らと会って、近況を報告したり、談笑するなどしている。 その後、2006年、「家族や教団の束縛から逃れたい」と江川紹子に連絡を取り、2007年には江川紹子に後見人になってもらい、江川紹子の用意した家で生活する。後見人になってもらう際に、①教団の信者とは接触せず、②教団の活動をしない、という約束を江川としたが、その約束を無視する行動を始める。 具体的には、教団の信者や元信者らと接触して、「私には尊師から(霊的に)コンタクトがあり、尊師の意思がわかる。私について来なさい」と話したり、信者・元信者らに対して、麻原と同じように、オウム・アレフにおける宗教上のステージ(階級)を付与し始め、独自の麻原崇拝のグループを形成する動きである。 この麻原崇拝グループ形成の動きについて、野田成人は、「2007年頃、『自分は最終解脱した』と述べて、在家出家の現役・元を含めた関係者に色々とちょっかいを出した。「あなたはアストラルヨーガを成就した」「あなたはマハームドラーを成就した」このように言われた人達もいた」と明かしている。上祐史浩が代表を務めるひかりの輪もホームページで、四女が麻原崇拝グループを結成しようとしていたと述べている。 この行動が江川に露見し、2007年8月中旬、「宗教に戻ります」との伝言を残し、江川紹子の元から失踪した。 そのことにつき江川は「四女は、松本死刑囚を『グル』としてあがめる気持ちが深まっていた。教祖の後継者という自覚で行動している者を支援できない」と説明し、後見人を辞任している。江川紹子の元から失踪後は、父親のかつての弟子たちを頼った。 その後、滝本太郎弁護士と知り合い、教団とは決別したと述べているが、麻原の遺骨の引き渡しを麻原存命中から求めていた。
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