影響力のある同盟者の反応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 07:19 UTC 版)
「サンフランシスコにおける人民寺院」の記事における「影響力のある同盟者の反応」の解説
ジョーンズタウンの惨劇の後、市長のモスコーニは当初、ジョーンズの任命について自己弁護し、1975年の彼の評判は社会正義と人種平等を掲げる高潔な人物であり、更に教団が薬物依存やアルコール依存からのリハビリテーションプログラムを始めたという証拠もあったと述べた。記者から、事件の責任を感じるかどうか尋ねられた際には、モスコーニは怒りを露わにし、「私に一切の責任は無い」と述べた。ミルクは、「ガイアナは上手くいかなかった素晴らしい実験だった。わからない、たぶんそうだったんだ」と述べた。 ジョーンズタウンの惨劇の9日後、ダン・ホワイト(英語版)によってミルクとモスコーニは暗殺され(英語版)、政治家を暗殺しようとしているとされる教団の「暗殺部隊」の噂が流れ続けていたため、当初サンフランシスコの市民の多くは2人の暗殺は教団に関連していると信じていた。しかし、ホワイトがジョーンズまたは教団からの指示でこの暗殺を実行したという証拠は存在しない。 他の大半の政治家とは異なり、ウィリー・ブラウンはジョーンズを称賛し続け、ジョーンズへの攻撃は、事実上黒人のコミュニティに対する攻撃であると感じていた。ブラウンは当初、過去の教団との関係について「後悔などない」と述べ、他の政治家の様に教団から離れることは無いと述べた。「彼らは皆、『許してください。私は間違っていた』というのが好きだが、それは嘘八百だ。今は意味など無く、単に関係が無いだけだ」ブラウンは、教団で講演を行うという彼の決定について、「当時の全ての要因を鑑みて行ったもので、講演を行った時点では誤った決定ではなかった」と述べた。ところがブラウンは後に、「彼が狂っているとその時知っていれば、確実に私たちは彼と行動を共にしなかっただろう」と語った。 グッドレットは1997年のインタビューで、ジョーンズとの関係について「後知恵のための色眼鏡は必要ない。今では誰もが、地獄の様にジム・ジョーンズから逃げているが、当時は誰も知らなかった」と振り返っている ジョーンズと何度か面会した公民権活動家でもある牧師のジェシー・ジャクソン は、ジョーンズについて「人々のために働いた」人物であるとまだ考えていると述べ、彼を軽蔑することを拒否した。またジャクソンは、「この途方もない悲劇の為に、彼がした全ての善行までもが否定されないことを願っています」とも述べた。ジャクソンは、モスコーニについて「人民寺院に対して非難演説を行わなかった」ことと「全ての不平等を吹き飛ばした」ことについて称賛した。
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