教団の供養
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 09:50 UTC 版)
司法解剖後、村井の遺体は紺と白の格子しまのある浴衣が着せられ、渋谷区の代々幡斎場へ移送された。遺体はオウム信者が製作した棺に納められた。棺は木くずだらけでラッカーが塗られておらず、窓のレリーフが粗末で、釘を打つ場所がずれている状態だった。火葬後、遺骨は両親とともに、東海道新幹線で大阪府吹田市の実家へ帰郷した。 教団では、村井が死亡した4月24日以降の10日間、事件現場となった東京総本部前で弔いの踊り「鎮魂の舞い」を披露し、村井を追悼した。1踊りの期間を10日間とした理由は、「死者は遅くとも死後49日以内に輪廻転生するが、これが早ければ早いほど高い世界に転生し、遅いほど低い世界(人間界は45日目、地獄界は49日目)に転生する。」という教団の教義に基づくもので、村井は幹部としての「功績」が高いので、10日以内に転生するとされたためである。 事件から一週間が経った4月30日には、熊本県の市民団体「人権尊重を求める市民の会」の会員10人が、村井の追悼集会と称して事件現場に集まり「あの時、マスコミ、警察はなぜ村井氏を助けなかったか」と拡声器で訴えながら、鐘と太鼓を打ち鳴らした。 また、『巨聖逝く 悲劇の天才科学者 村井秀夫』『巨聖逝く マンジュシュリー・ミトラ正大師物語(漫画版)』を発刊し、村井の「功績」を称えた。その中で、オウム真理教教祖の麻原彰晃が、瞑想中に村井の魂と会話を交えた、と声明文を出している。 村井の刺殺場所となった教団東京総本部ビルは、当事件発生から20年後の2015年4月に解体された。
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