芸能人ランナー
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「赤坂5丁目ミニマラソン」の記事における「芸能人ランナー」の解説
このマラソンの知名度が上がるにつれて、国内外から陸上選手を招待したり、芸能人の中でも、このマラソンに備えて、数ヶ月前から練習したり、東京マラソンなどの大会に多く出場する者も少なくない。また、ミニマラソンをきっかけに芸能人マラソンランナーとしての活動の幅を広げた芸能人も多い。 上岡龍太郎 90年代におけるミニマラソンの常連。 間寛平 増田と同じく最初のミニマラソンを走った。ミニマラソンのアンケートを行った後にスタジオ入りしたが、紳助のオファーにより出走。コース中3か所でギャグ(「かい〜の」、「血吸うたろか?」)を行うというハンデを設けられていた。2003年秋を最後にミニマラソンには出場していないが、その後はミニ駅伝に出場した。また、アースマラソン中の2009年春にミニマラソンのスターターも務めた。 野々村真 旧ルール時代(4人のみで走る)ではあるが初の3連覇達成者。2005年春以降は出場していなかったが、駅伝などの距離が短い企画に参加していた。その後、2014年秋に9年半ぶりに出走。 織田無道 1996年春初出場。野々村の4連覇を阻止して優勝したことから「走る坊さん」として人気を博し、2000年秋まで出場した。2020年12月逝去。 そのまんま東→東国原英夫 ミニマラソンの古参のランナーとして有名。そのまんま東時代は現行基本ルール(全員出走)に改正された1997年春以降、ほぼ毎回と言っていいほど頻繁に出場。ワイナイナや谷川、果ては後述のシモンらの本家アスリート陣とトップ争いを演じるなど、枚挙に暇がない。2007年〜2010年の宮崎県知事時代にも公務の合間を縫って出場していたが、トップ争いというよりは「宮崎のセールスマン」としての色が強く、走った後の休憩タイム前にも完走したその足で休憩会場にある宮崎県のブース(新宿みやざき館KONNE)をPRしていた。多忙による練習不足を理由に参加しなかった2010年秋もスタジオを訪れ、同様にPRしていた。PRのコーナーでは常に「今日はこのために宮崎から来たんです」と強調していた。2011年秋以降は東国原名義で解答者として出場。この頃より足に故障を抱えていることが多く、マラソンに参加しないこともあるが、2017年春(当時59歳)で8位入賞するなど、森脇同様に陰りは見られない状況にある。2019年春は感謝祭自体には参加したが、マラソンには不参加。続く2019年秋も解答者として参加したがミニマラソンには不参加であったが、ミニマラソン後の表彰式中に常連ランナーのサバイバル制度により、ミニマラソン出場停止となったノッチ(デンジャラス) に対して、敵討ちをすると、来年のミニマラソンへの出場を明言する場面があったが真意は不明。 木下明水 2000年春初出場。当時はジョビジョバのメンバー。初出場で優勝したが、1周目の心臓破りの坂を上りきってスタジオに入らずに2周目に入ってしまい、2周目の途中でコースアウトが発覚したため代わりに2周目の大道具通路を2往復した上でゴールするというトラブルがあった。表彰式にて紳助の裁量で「本当なら失格だがその分(大道具通路を2回)走った」ことにより優勝と認められた。2003年にジョビジョバが解散した後もしばらく出場した。ジョビジョバからは明水以外に坂田聡、石倉力の2名が入賞を経験している。 西野亮廣(キングコング) 2002年秋に初出場し、ノーハンデで優勝した。その後、重いハンデを科せられることになったものの、2005年春まで6回の出場すべてで入賞し、うち3回優勝という成績をおさめた。2005年秋以降は裏番組出演のため、相方の梶原雄太と共に番組自体に出演していない。 なかやまきんに君 2003年春初出場。体力自慢で売っている芸人であることから、初出場からハンデを科せられていた。初出場で3位に入賞し、多くの回で入賞した。2006年春を最後に、自身の留学のため一時感謝祭に出場しなくなったが(ただし2007年秋に一時帰国)、帰国後の2011年秋、4年ぶりにミニマラソンに復帰した。同回と翌2012年春はハンデがなく一般男子での出場となり、2012年春、猫やワイナイナを破り初優勝を果たした。 森脇健児 2003年秋に初出場で初優勝。既に参加して10年以上で、2017年には50歳を迎えた。そのため、ほぼ同年代のライバル(水内など)が参加しなくなる一方、ライバルのほとんどが10歳以上年下のランナーばかりになっている。そのような状況下ではあるが、2016年春時点(参加26回全て)で10位以内は常にキープしており、ハンデがプロの次に設定される状況の中、その安定感に陰りは見られない状況にある。後述するように、今やミニマラソンおよび当番組には欠かせない人物になっている(特に2014秋以降)。 大半の回で母校・洛南高校陸上部のピンクの短パンを着用して走っている。独立局共同制作で2008年から2014年まで続いていた『走る男』シリーズなど、長距離走がライフワークにもなっている。走ることに命を懸けており、本人にとって感謝祭はオリンピックか「紅白歌合戦」のようなビッグイベントらしい。TBSでは放送していないが、当番組内でも実況の中で『走る男』のことが触れられ、『走る男』と書かれた横断幕を掲げる沿道のファンも見られる。また、芸能関係では史上初である本格的な陸上部・松竹陸上部(中長距離専門)の創設者でもある。2014年秋からは目標の順位以内に入らなければ「ミニマラソン引退」を宣言しており、引退するかしないかが視聴者プレゼントの問題にもなったが、いずれの回も目標をクリアし引退を回避している。50歳を迎えて直後の2017年春に、13年半ぶり2度目の優勝。50歳代での優勝は、森脇の他にみのもんた(当時50歳)、鈴木正幸(当時53歳で、現段階での最高齢優勝者)しかいない。 福島和可菜 2009年春初出場。自衛隊出身のグラビアアイドルという異色の経歴を持つ。その体力を生かし、出場した多くの回で入賞を果たし、2011年秋には2位という好成績をおさめた。優勝ではないが、一般女子枠で表彰台に上ることは非常にまれである。2012年春・秋は、スポーツ選手以外の女性としては珍しく40秒のハンデをつけられた。なお、妹の福島舞(現在は引退)もミニマラソンに出場し、一度姉妹で入賞している。2013年秋以降は出場していない。 猫ひろし(日本→カンボジア) 2005年秋初出場。後述のようにハンデがきつい中で毎回好成績を残しており、東京マラソンなどで3時間以内の成績を残している。2012年春はロンドン五輪カンボジア代表としてゲスト出演(この回は解答者ではなかった)ワイナイナと同ハンデで出走した。が、その後、国籍ルールに抵触し出場権を剥奪された。今後のカンボジアマラソン代表で国際大会への出場が待たれるなど、芸能人マラソンランナーというよりはプロランナーとして活動している。2014年秋では、仁川アジア大会のフルマラソンを完走した翌日に帰国しミニマラソンに出場した。2016年にリオデジャネイロオリンピックに出場し、完走。2016年秋大会で凱旋レース。 ノッチ(デンジャラス) 2009年春に谷川の特訓を受け、その後毎回上位常連となる。また、これがきっかけとなり東京マラソンなどに出場するようになる。2009年当時はオバマ大統領のそっくりさんとして有名だったため、2009年内はノッチが折り返し地点を通過するたびにアメリカ国歌が流れるという演出がなされた。相方の安田和博もほぼ毎回出場し、団長のようにワイナイナなどの選手を追いかける光景が見られる。2012年春、初めて入賞を逃し(11位)、夫人に家から閉め出されたとブログで語った。2012年秋は10位になり、入賞ラインに復帰した。しかし、2019年秋にて導入された常連ランナーに対するサバイバル制度(常連ランナーの中で最もタイムが遅かった者が、今大会をもってミニマラソンからの卒業をする制度)により、6位入賞ながら最もタイムが遅かったため、事実上ミニマラソンからの卒業が決定した。2020年秋はスターターとして出演した。2021年春大会ではランナーとして1年半ぶりに出場した。 森渉 2013年春初出場。日体大トライアスロン部主将の経歴を持つ。初出場で初優勝を果たし、以降の大会でも常に10位以内に入賞している。2015年春・秋では、妻である声優の金田朋子も出走した。2019年秋には箱根駅伝で5区を担当した、当時青山学院大学4年生の竹石尚人に心臓破りの坂からゴールまでのデッドヒートの末に僅差で競り勝ち、2度目の優勝を果たし、表彰式の際には、感極まり涙を流した。また、妻の金田も解答者席で涙を流し、夫の優勝を喜んだ。 上田竜也(KAT-TUN) 2013年秋初出場。3回目の出場となった2016年春は、当時青山学院大卒業直後の神野大地とわずか1秒の僅差で逃げ切り、ジャニーズ事務所のタレントでは初の優勝者となった。 ハリー杉山 2013年秋初出場。(当時 7位) 2015年春、3位以内でないと引退のかかった森脇を振り切り優勝。それ以降もハンデを乗り越え安定してシングルフィニッシュを果たしている。 土屋太鳳 2016年秋初出場。初出場当時、日本女子体育大学に在学していた女優。(初出場時は大学4年生。本人がヒロインを務めた『まれ』(2015年のNHK連続テレビ小説)以降の多忙による出席日数不足により、2016年度での卒業はならなかったが、修学年限いっぱいとなる2020年度卒業。)全体では8位で入賞し、女性の出場者の中では1位となった。 2019年春では、先述の2016年秋での土屋の激走の様子が放送された。 山本浩司 (タイムマシーン3号) 2016年春初出場。初出場でいきなり10位に入賞、2016年秋は先述の土屋太鳳らと激戦を繰り広げ5位、2017年春は最終ラップの心臓破りの坂で森脇健児に競り負けての2位と、3回続けて入賞している。 佐野岳(俳優) 2015年秋の優勝者。2017年秋で下の和田とドラマ『陸王』チームとして参加して3位になった。 近年では、元箱根駅伝ランナーや、マラソンで3時間前後の記録を持つタレントランナーが出演することが多い。 宇野けんたろう 2011年春初出場。お笑いコンビげんきーず。 2014年秋では、ビダン・カロキとわ1秒の差で逃げ切り初優勝。 和田正人 2011年春初出場、2017年秋ではモハメド・ファラーに最終周回に抜かれて3秒差の2位。俳優。日本大学時代に箱根駅伝に2回出場。 西田隆維 2011年秋初出場。俳優・元プロランナー(ヱスビー食品所属)。駒澤大学時代に第76回箱根駅伝で復路9区の区間新記録を達成(当時)。 がんばれゆうすけ 2013年春初出場。お笑いコンビランナーズ。吉本マラソンチームコーチ。 2013年秋では2位。 西谷綾子 2013年春初出場。モデル。2017年春では、森脇らと同じ「マラソンタレント」枠の同ハンデで出場。
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