芸能人ランナーとは? わかりやすく解説

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芸能人ランナー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 02:27 UTC 版)

赤坂5丁目ミニマラソン」の記事における「芸能人ランナー」の解説

このマラソン知名度上がるにつれて国内外から陸上選手招待したり、芸能人中でも、このマラソン備えて数ヶ月前から練習したり、東京マラソンなどの大会多く出場する者も少なくないまた、ミニマラソンきっかけ芸能人マラソンランナーとして活動の幅を広げた芸能人も多い。 上岡龍太郎 90年代におけるミニマラソン常連間寛平 増田同じく最初ミニマラソン走ったミニマラソンアンケート行った後にスタジオ入りしたが、紳助オファーにより出走コース中3か所でギャグ(「かい〜の」、「血吸うたろか?」)を行うというハンデ設けられていた。2003年秋を最後にミニマラソンには出場していないが、その後ミニ駅伝出場したまた、アースマラソン中の2009年春ミニマラソンスターター務めた野々村真ルール時代(4人のみで走る)ではあるが初の3連覇達成者。2005年春以降出場していなかったが、駅伝などの距離が短い企画参加していた。その後2014年秋9年半ぶりに出走織田無道 1996年春初出場野々村の4連覇阻止して優勝したことから「走る坊さん」として人気博し2000年秋まで出場した2020年12月逝去そのまんま東東国原英夫 ミニマラソン古参ランナーとして有名。そのまんま東時代現行基本ルール全員出走)に改正され1997年以降、ほぼ毎回と言っていいほど頻繁に出場ワイナイナ谷川果ては後述シモンらの本家アスリート陣とトップ争い演じるなど、枚挙に暇がない2007年2010年宮崎県知事時代にも公務合間を縫って出場していたが、トップ争いというよりは「宮崎セールスマンとしての色が強く走った後の休憩タイム前に完走したその足で休憩会場にある宮崎県ブース新宿みやざき館KONNE)をPRしていた。多忙による練習不足を理由参加しなかった2010年秋スタジオ訪れ同様にPRしていた。PRのコーナーでは常に「今日このため宮崎から来たんです」と強調していた。2011年秋以降東国原名義解答者として出場この頃より足に故障抱えていることが多くマラソン参加しないこともあるが、2017年春当時59歳)で8位入賞するなど、森脇同様に陰り見られない状況にある。2019年春感謝祭自体には参加したが、マラソンには不参加。続く2019年秋解答者として参加したミニマラソンには不参加であったが、ミニマラソン後の表彰中に常連ランナーサバイバル制度により、ミニマラソン出場停止となったノッチデンジャラスに対して敵討ちをすると、来年ミニマラソンへの出場明言する場面があったが真意不明木下明水 2000年春初出場当時ジョビジョバメンバー初出場優勝したが、1周目心臓破りの坂を上りきってスタジオ入らずに2周目に入ってしまい、2周目の途中でコースアウト発覚したため代わりに2周目の大道具通路を2往復した上でゴールするというトラブルがあった。表彰式にて紳助裁量で「本当なら失格だがその分大道具通路を2回)走った」ことにより優勝認められた。2003年ジョビジョバ解散した後もしばらく出場したジョビジョバからは明水以外に坂田聡石倉力の2名が入賞経験している。 西野亮廣キングコング2002年秋に初出場し、ノーハンデで優勝したその後、重いハンデ科せられることになったものの、2005年春まで6回の出場すべてで入賞し、うち3回優勝という成績おさめた2005年秋以降裏番組出演のため、相方梶原雄太と共に番組自体出演していない。 なかやまきんに君 2003年春初出場体力自慢売っている芸人であることから、初出場からハンデ科せられていた。初出場3位入賞し多くの回で入賞した2006年春最後に自身留学のため一時感謝祭出場しなくなったが(ただし2007年秋一時帰国)、帰国後の2011年秋4年ぶりにミニマラソン復帰した。同回と翌2012年春ハンデがなく一般男子での出場となり、2012年春ワイナイナ破り初優勝果たした森脇健児 2003年秋に初出場初優勝。既に参加して10年上で2017年には50歳を迎えた。そのため、ほぼ同年代ライバル水内など)が参加しなくなる一方ライバルのほとんどが10歳以上年下ランナーばかりになっている。そのような状況下ではあるが、2016年春時点参加26全て)で10以内は常にキープしており、ハンデプロ次に設定される状況の中、その安定感陰り見られない状況にある。後述するように、今やミニマラソンおよび当番組には欠かせない人物になっている(特に2014以降)。 大半の回で母校洛南高校陸上部ピンク短パン着用して走っている。独立局共同制作2008年から2014年まで続いていた『走る男シリーズなど、長距離走ライフワークにもなっている。走ることに命を懸けており、本人にとって感謝祭オリンピックか「紅白歌合戦のようなビッグイベントらしい。TBSでは放送していないが、当番組内でも実況の中で『走る男』のことが触れられ、『走る男と書かれた横断幕掲げ沿道ファン見られるまた、芸能関係では史上初である本格的な陸上部松竹陸上部(中長距離専門)の創設者でもある。2014年秋からは目標順位以内に入らなければミニマラソン引退」を宣言しており、引退するかしないかが視聴者プレゼント問題にもなったが、いずれの回も目標クリア引退回避している。50歳を迎えて直後2017年春に、13年半ぶり2度目優勝50歳代での優勝は、森脇の他にみのもんた当時50歳)、鈴木正幸当時53歳で、現段階での最高齢優勝者)しかいない福島和可菜 2009年春初出場自衛隊出身グラビアアイドルという異色の経歴を持つ。その体力生かし出場した多くの回で入賞果たし2011年秋には2位という好成績おさめた優勝ではないが、一般女子表彰台上ることは非常にまれである。2012年春・秋は、スポーツ選手以外女性として珍しく40秒のハンデつけられた。なお、妹の福島舞(現在は引退)もミニマラソン出場し一度姉妹入賞している。2013年秋以降出場していない。 猫ひろし日本カンボジア2005年秋初出場後述のようにハンデがきつい中で毎回好成績残しており、東京マラソンなどで3時以内成績残している。2012年春ロンドン五輪カンボジア代表としてゲスト出演(この回は解答者ではなかった)ワイナイナと同ハンデ出走した。が、その後国籍ルール抵触し出場剥奪された。今後のカンボジアマラソン代表で国際大会への出場待たれるなど、芸能人マラソンランナーというよりはプロランナーとして活動している。2014年秋では、仁川アジア大会フルマラソン完走した翌日帰国しミニマラソン出場した2016年リオデジャネイロオリンピック出場し完走2016年秋大会で凱旋レースノッチデンジャラス2009年春谷川特訓を受け、その後毎回上位常連となる。また、これがきっかけとなり東京マラソンなどに出場するうになる2009年当時オバマ大統領そっくりさんとして有名だったため、2009年内はノッチ折り返し地点通過するたびにアメリカ国歌流れるという演出なされた相方安田和博もほぼ毎回出場し団長のようにワイナイナなどの選手追いかける光景見られる2012年春初め入賞逃し11位)、夫人に家から閉め出されたとブログ語った2012年秋10位になり、入賞ライン復帰した。しかし、2019年秋にて導入され常連ランナー対すサバイバル制度常連ランナーの中で最もタイム遅かった者が、今大会をもってミニマラソンからの卒業をする制度)により、6位入賞ながら最もタイム遅かったため、事実上ミニマラソンからの卒業決定した2020年秋スターターとして出演した2021年春大会でランナーとして1年半ぶりに出場した森渉 2013年春初出場日体大トライアスロン部主将の経歴を持つ。初出場初優勝果たし以降大会でも常に10以内入賞している。2015年春・秋では、妻である声優金田朋子出走した2019年秋には箱根駅伝5区担当した当時青山学院大学4年生竹石尚人心臓破りの坂からゴールまでのデッドヒートの末に僅差競り勝ち、2度目優勝果たし表彰式の際には、感極まり涙を流したまた、妻の金田解答者席で涙を流し、夫の優勝喜んだ上田竜也KAT-TUN2013年秋初出場3回目出場となった2016年春は、当時青山学院大卒業直後神野大地とわずか1秒の僅差逃げ切りジャニーズ事務所タレントでは初の優勝者となったハリー杉山 2013年秋初出場。(当時 7位) 2015年春3位以内でないと引退かかった森脇振り切り優勝それ以降ハンデ乗り越え安定してシングルフィニッシュを果たしている。 土屋太鳳 2016年秋初出場初出場当時日本女子体育大学在学していた女優。(初出場時は大学4年生。本人ヒロイン務めた『まれ』(2015年NHK連続テレビ小説以降多忙による出席日数不足により、2016年度での卒業はならなかったが、修学年限いっぱいとなる2020年度卒業。)全体では8位で入賞し女性出場者の中では1位となった2019年春では、先述2016年秋での土屋激走様子放送された。 山本浩司 (タイムマシーン3号) 2016年春初出場初出場でいきなり10位に入賞2016年秋先述土屋太鳳らと激戦繰り広げ5位、2017年春最終ラップ心臓破りの坂で森脇健児競り負けて2位と、3回続けて入賞している。 佐野岳俳優2015年秋優勝者2017年秋で下の和田ドラマ陸王チームとして参加して3位になった近年では、元箱根駅伝ランナーや、マラソン3時前後記録を持つタレントランナーが出演することが多い。 宇野けんたろう 2011年春初出場お笑いコンビげんきーず2014年秋では、ビダン・カロキとわ1秒の差で逃げ切り初優勝和田正人 2011年春初出場2017年秋ではモハメド・ファラー最終周回抜かれて3秒差の2位俳優日本大学時代箱根駅伝に2回出場西田隆維 2011年秋初出場俳優・元プロランナー(ヱスビー食品所属)。駒澤大学時代第76回箱根駅伝復路9区区間新記録達成(当時)。 がんばれゆうすけ 2013年春初出場お笑いコンビランナーズ。吉本マラソンチームコーチ。 2013年秋では2位西谷綾子 2013年春初出場モデル2017年春では、森脇らと同じ「マラソンタレント」の同ハンデ出場

※この「芸能人ランナー」の解説は、「赤坂5丁目ミニマラソン」の解説の一部です。
「芸能人ランナー」を含む「赤坂5丁目ミニマラソン」の記事については、「赤坂5丁目ミニマラソン」の概要を参照ください。

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