3連覇達成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 00:38 UTC 版)
「コベルコ神戸スティーラーズ」の記事における「3連覇達成」の解説
1989年、当時現役のオーストラリア代表ウイング(以下、WTB)のイアン・ウィリアムスが加入したが、当時、社会人チームに加入した外国人選手については、1年間の社業業務を務めなければ公式戦に出場できないという日本ラグビー協会の規約があり、そのため、ウィリアムスは同年度シーズンの公式戦に出場することができなかった。 しかしながら、全国社会人大会(花園)決勝でサントリーを破り、1990年1月15日の日本選手権でも早稲田大学に58-4で圧勝し、両大会連覇を果たした。そして1990年度のシーズンから、上述のウィリアムスが公式戦に出場することになるが、後述する通り、奇跡のトライを生むことになる。 1990年度の社会人大会(秩父宮)決勝は、宮地克実監督を擁する三洋電機との対戦となったが、その試合は日本のラグビー史に今も語り継がれる歴史的な試合となった。 強力なFWを擁する三洋は後半30分過ぎまで16-12とリード。しかもここまで、神戸製鋼はトライが1つもなかった。終盤になって当チームは、繰り返し連続展開からトライチャンスを試みるが、三洋の強力なタックルがことごとく決まる展開となり、22mラインの攻防戦で常に後退を強いられる展開となった。時計が後半40分を過ぎ、ロスタイムに入った。当チームは切り札である、ウィリアムスにボールを集めようとするが、なかなかボールがウィリアムスまで渡らない。 後半41分頃、三洋の選手がタッチに蹴り出した瞬間、宮地監督は立ち上がり、勝利のポーズを見せたが、主審の真下昇はノーサイドの笛を吹かず、そのまま試合は続行。後半43分頃、ウイングとして出場しながらも、この時点ではフルバック(FB)の位置にいた綾城高志をライン参加させ、ゲインラインの突破を図るものの、三洋ディフェンスに見破られ、ハーフウェイライン上でラック状態となってしまう。その状態から素早くボールを出した当チームは、大西一平が再度縦をついてラック状態へと持ち込むと見せかけて、スクラムハーフ(SH)の萩本光威が素早くボールを出し、これを受けた、スタンドオフ(SO)の藪木宏之がパスを放ったが、センター(CTB)の藤崎泰士がホスピタルパスを嫌って見送った(スルーした)ために、同じくセンターの平尾がワンバウンドでパスを受けた。だが、このパスが三洋ディフェンス陣に動揺を与え、一瞬三洋の選手が立ち止まってしまう。その状態から平尾がついに切り札・ウィリアムスへとパス。ウィリアムスは約50mを独走。一方三洋も、ワテソニ・ナモアが懸命にウィリムアスを追うが、ゴールエリア付近で振り切られ、ウィリアムスは細川にGKを決めやすくさせるため、ゴールエリア中央へと持ち込んでトライ。16-16の同点となった。この時点ではまだ両者優勝の状態であり、日本選手権出場権規約によりトライ数の多い三洋が出場権を握っていたが、細川が冷静にGKを決め、18-16でついに逆転。奇跡の全国社会人大会3連覇を達成した。 その後1991年1月15日に行われた日本選手権では、吉田義人が主将を務める明治大学を終始圧倒。こちらも3連覇を達成した。
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