アスリート・元アスリート
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「赤坂5丁目ミニマラソン」の記事における「アスリート・元アスリート」の解説
上記のような芸能人ランナーに混じって元プロ野球選手や元Jリーガー、その他プロスポーツで実績を持った選手たちが参加することもたびたびある。 増田明美 初代優勝者。1993年春、「走りたい」を押した際には「(押したのは)冗談です」と語っていたが優勝。1996年秋を最後に出場は無いが、2020年秋では解説ゲストとして出演。 赤井英和 1995年春初出場。元ボクサー、近畿大学ボクシング部名誉監督。 谷川真理 本職のマラソンランナーとしては史上最多出場。1997年春は特別ゲスト。1997年秋はそのまんま東(当時)に次ぐ2位に入る。この2回は当時の所属先であった良品計画のユニフォームで出場した。以降も現在に至るまでほぼ毎回出場し続けていたが、2012年秋を最後に出場していない(2013年当時は足に故障があったため。解答者としての出演も2013年秋が最後)。年齢を重ねタイムに衰えは見受けられるものの、近年もハンデを科せられながら入賞し続けている。1999年春には趣向を変え「谷川真理がランナーを何人抜けるか?」という特別企画を交えてミニマラソンを行った。クイズも優勝者ではなく、谷川が追い抜く人数を予想するものに変更された。結果、19人中15人を追い抜いた。 岡崎郁 1997年春初出場。元プロ野球選手。プロ野球代表として出場するも西川のりおと共に中継内でゴールすることが出来なかった。 佐藤直子 1997年春初出場。元テニスプレイヤー。1997年秋の女子限定大会では体調不良で途中棄権するなど実績は残せなかったが、2000年秋のミニ駅伝で優勝を経験している。 森末慎二 1997年秋初出場。ロサンゼルスオリンピック体操日本代表。男子限定大会に出場するものの最後尾でのゴールとなった。 ギャオス内藤 1999年春初出場。元プロ野球選手。2000年までたびたび参加しており上位でゴールすることもあった。 畑山隆則 1999年春初出場。元WBA世界スーパーフェザー級、世界ライト級王者。2001年春の大会では最後まで飯田覚士との激闘を演じ2位入賞を果たしている。 水内猛 2003年春初出場。元Jリーガーでベガルタ仙台の所属だった。このことから東日本大震災直後の2011年春にはベガルタのユニフォームを着てミニマラソンを走った。TBSアナウンサー小倉弘子を妻に持つことから、実況担当の初田啓介からは妻子について言及される頻度が高い。2003年春の初出場以降、出場した回については2005年春以外は全て10位以内の成績をおさめている。2013年春から2015年秋については、裏番組である『すくすく子育て』(NHK Eテレ)の男性司会者となったため、当番組自体に出場していない。2016年4月に後任として山根良顕(アンガールズ)が裏番組の司会者となったが、引き続き水内は当番組自体に出演していない(一方山根は引き続き当番組に出演しているが、裏番組の時間帯のみ退席して対応している)。 井上悟 2004年春出場。陸上100m・200m元日本記録保持者。短距離選手でありながら谷川真理と同じハンデを課せられ、16位に終わった。 千葉真子 2009年春初出場。アトランタ五輪10000mに5位入賞し、世界陸上で2度(10000m、マラソン)銅メダルを取った元陸上選手。2012年春の産休まで毎回出場したが、現役をやめて時間が経っているためか10位以内入賞は1回にとどまっている。 内藤大助 初出場年不詳。元WBA世界フライ級チャンピオン。このところよくエントリーしており、安定した走りで常にシングルフィニッシュする上位争いの常連的存在。
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