父親と娘の場合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 13:56 UTC 版)
ジュディス・ハーマンは、自らの著作『父-娘 近親姦 (Father-Daughter Incest)』 (1981) で、情報提供を行うことができる比較的健康な40人の女性の家庭を対象に、父と娘の近親姦の起こっている家庭について1975年以降4年間の面接データを基に研究を行った。その研究によれば、その家庭は典型的で伝統的で保守的で見かけ上はとても立派な家父長制の家庭であり、父親は社会的には能力が足りないとみなされながらも外部的には家族の責任を果たしていると賞賛される傾向があったのだが、実際には家庭内では男尊女卑の傾向があり、母親は大抵は父親への依存が高い専業主婦で性役割は明瞭化されていて、父親は暴力を振るう可能性をちらつかせ暴君として恐れられており、それはアルコール依存によって悪化する場合が多く、母親は無能で役立たずな人間とみなされ何度も無理矢理妊娠させられることもあり、抑うつ・精神病・アルコール依存の症状をきたしていることが多く、一方で娘は父親の相手をし、機嫌をよく保つ役割を担わされ、さらに兄弟姉妹の養育の責任も担っていることが多かった。 ジュディス・ハーマン (1981) は、生物学的にも心理学的にも社会学的にもインセスト・タブーには男女差が存在することに着目し、父権的な家庭であればあるほど父と娘の間にあるインセスト・タブーは破られやすくなると考え、自らの理論は実際に父娘姦が起こっている家族を観察することによって証明可能であると主張した。だが、実際には父娘姦といってもさまざまな家庭が存在し、S. Kirschner, D.A. Kirschner, R.L. Rappaport (1993) は「父親が優位である家族」「母親が優位である家族」「混沌とした家族」の3つのパターンを記述している。 スーザン・フォワード (1989) は、父親との性行為で生理的にオーガズムに達してしまう娘も存在すると述べており、また、父親と性関係を結んでいる娘は母親に対抗する「女」としての自分を意識している場合があり、自分は父親を母親から奪っているという独特の罪悪感から、母親に秘密を打ち明けることが非常に困難な事態に陥り、母親を裏切っているという意識から余計に罪悪感を深めている場合が多いことを指摘している。 マーガレット・ラインホルドは、1990年に出版した自らの著書において、父と娘の性的関係をたとえ母親が認識していたり感じ取っていたとしても、母親は夫の行為をやめさせようとしないことが多いとされる件について触れており、その原因として、夫の性欲のはけ口に娘がなってくれて助かっていると母親が思いこんでいる可能性や、母親が娘に敵対心を燃やしている可能性や、夫に恐怖しているため逆らえない可能性などを挙げている。山脇由貴子 (2016) は、夫や恋人による自らの娘への性的虐待を母親が容認するような場合、母親が娘に対して嫉妬することになるため娘への心理的虐待という側面もあると指摘する。友田明美 (2017) は、夫が娘に性的マルトリートメントを受けていることを認識していたとしても、自身もドメスティック・バイオレンスを受けているがゆえに沈黙をしている場合もあると指摘する。 Denis M. Donovan and Deborah McIntyre (1990) は、父親から性虐待を受けセラピストが性的同一性に混乱をきたしたと判断した娘の事例で、家族人形で男の子と同一視したことについて、これは自分が男の子だと言いたいのではなく自分が男の子だったらよかったのにと言いたいわけで、性的同一性に混乱はきたしていないと指摘している。 J. M. Goodwinは、父と娘の近親姦においては「目隠し (Blind)」と名付けられる特徴があることを報告しており、その5つの特徴とは、「Brainwash(洗脳…家族では当たり前のことであるという話や秘密にしなければならないという嘘の情報を与え、子供を洗脳すること)」、「Loss(喪失…秘密にしなければ家族崩壊や友人関係の消失が起こると脅迫し口を封じること)」、「Isolation(分離…人に話せば友人から信用されなくなると言い、子供が真実の情報を得る事を出来なくさせること)、「Not awake(未覚醒時…睡眠時、病気の際や身体的虐待時など意識や判断能力の低下時に虐待をすること)」、「Death fears(死の恐怖…人に話せば殺すというメッセージを送ること)」であるとしているが、吉田タカコ (2001) はこれは父娘姦の特徴というよりは性的虐待一般に当てはまることの多い特徴だと指摘している。 James A. Monteleone編著『児童虐待の発見と防止 親や先生のためのハンドブック』 (1998) には、正常な人間には理解不能だろうが私は自分を強姦した父親を愛していたのだという女性の話が載せられている。スティーブン・レベンクロン (1998) は、父親に12歳まで性行為をされていた娘の証言として、自分を切り付けることは、もともとは父親がいないので寂しさのあまり切り付けたのが始まりだったはずで、すっかり嗜癖になっているのではないかという話を記す。原田武 (2001) は、父娘姦を虐待とみなす論者は性的好奇心につけこんで性行為を行うことも虐待であると主張しているのであろうが、父と娘の近親姦では父親による明白な暴力を伴うことはそれほど多くなく、多くの場合は娘は父親に抵抗せず、娘が自発的に参加しているように見える場合も少なくないため、自分にとって頼れる人を娘が求めているがゆえに父親の行為に応じやすくなっているのではないかと指摘している。小林美佳は『性犯罪被害とたたかうということ』(2010年、文庫2016年)で、父親と性関係を持っている娘の「恋人とのセックスなんて、考えただけで気持ち悪い」という証言を引く。岡田尊司 (2014) は、父親に性的虐待を受けた娘は第三者的にはただの被害者のように感じるが、実際には父親の妻としての自負があるため、その部分に対しても配慮すべきと主張する。 信田さよ子編著『子どもの虐待防止最前線』(2001年)には、タイ人女性と結婚した日本で働く継父が、妻の連れ子である継娘に性的虐待をしたとして問題になり、日本にはもう居たくないということでその継娘はタイに向かったものの、結局タイの生活になじめず日本に戻ってきてしまったという話が載せられている。信田さよ子の著作『加害者は変われるか DVと虐待をみつめながら』 (2008年、文庫2015年)には、実際問題として性的虐待があろうと娘と父親が同居せざるを得ない事例は少なくないと述べる。 西澤哲 (1994) は小学5年生の実娘に性的虐待をした30代後半の父親の証言として、そのような行為を行った理由は自分でも理解できないのだが、自分の子供に愛されているんだと思うと止められなくなってしまったのだという話を紹介する。Pamela D. Schultz (2005) は、継娘に前の父親とも同じことをやっていたとして性行為を求められ、医者にも相談したのだが、他の男性についても性被害について訴えがあったのだが精神障害者だということで相手にしてもらえなかった過去のある少女で、その話に反応するなと医師には言われたが、結局はその前の父親と一緒に警察に逮捕されてしまったという証言を引く。森田ゆり (2008) は、『子どもへの性的虐待』で、膣が炎症を起こしたため医師が児童相談所に性的虐待の疑いで通告したものの、結局は児童相談所としては父親による性的虐待を証明することはできなかったという事例を報告している。 鈴木大介は、『家のない少女たち 10代家出少女18人の壮絶な性と生』(2008年)で、小学5年生から義理の父親に性的虐待をされ続け、中学校になっても襲われたため、結局家出したインタビュー当時16歳の少女の、義父といっても母親と結婚したとき自分は2歳だったから実父と変わらないという旨の証言を引いている。鈴木大介 (2014) は、ルポライタ-としての経験上、義父に性的虐待を受けたという女性から話を聞いたこともあるが、こういった女性は救済されることがないどころか差別に晒されてしまっていると日本社会を批判している。 黒川祥子は自らの著書『誕生日を知らない女の子 虐待──その後の子どもたち』(2013年、文庫2015年)で、個人的には自らに性的虐待を行う父親のことを娘は責めるべきと考えるのだが、実際に実父にそういうことをされたという女性に話を聞くと、生活を支えているのは実父である以上どうしようもないのだという話をされた経験を述べている。 法医学者の高瀬泉 (2018) は、淋菌及びクラミジアに陽性を示した父親、淋菌に陽性反応を示した母親、そして兄及び眼部にて淋菌に陽性反応を示した弟と暮らし、本人は淋菌性腟炎とクラミジア感染症と診断された7歳の女児について、6時方向付近の処女膜が陥没し残存部分も全周的に不整であることから、性的虐待によるものの可能性が高いという鑑定を行ったことがあると述べる。なぜ性的虐待の場合処女膜が明確に裂けないのかといえば、指などで膣を十分に広げた後に男性器を挿入するためだと高瀬泉 (2018) は述べている。加藤治子 (2018) は、産婦人科における経験上、父親との経験を思い出すと夫と性交を行うことができないという訴えがあったことを述べている。 羽馬千恵 (2019) には、5歳の時の母親の再婚でできた義父がいたのだが、自分が小学校の6年生になろうとする頃に義父に「抱かせてくれ」と言われ、挿入こそされなかったが布団に押し倒されたりしたことがあったという。その後、義父が母親と離婚することになった際に、自分は「お父さんなんかいらへん!」と言い放ち、それっきり義父と会うことはなく、あんな義父なんか死んでしまえばいいと思っていたのだが、実際に義父の訃報を聞いたときには号泣し、こんなことなら会っていればよかったと後悔したと羽馬千恵 (2019) は語っている。
※この「父親と娘の場合」の解説は、「近親相姦」の解説の一部です。
「父親と娘の場合」を含む「近親相姦」の記事については、「近親相姦」の概要を参照ください。
- 父親と娘の場合のページへのリンク