沖合展開事業とは? わかりやすく解説

沖合展開事業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 07:43 UTC 版)

東京国際空港」の記事における「沖合展開事業」の解説

かつてのターミナル現在地より陸地側、今のB滑走路南端付近にあった。3本滑走路ターミナル北側B滑走路(04/22)が、ターミナル東側A滑走路(15R/33L)とC滑走路(15L/33R)のクロースパラレルが配置されていたが、1964年海外旅行自由化以降航空機の利用客が急増し便数増加できないうえに国際線国内線同居する状態では発着する飛行機の数をさばききれなくなり空域では航空機同士が急接近することが常にあったこのため1970年代には旧A滑走路事実上閉鎖して駐機場拡張した新設され成田空港激し反対運動によって拡張進められなかったために羽田空港から移転され国際線のみで処理能力飽和し国内線引き受けられる余力はなく、さらに国内線需要急激な増加続いたため、手狭なターミナルと2本の滑走路のみであった当時羽田空港間もなくキャパシティ限界を再び迎えた滑走路は現在よりも市街地近かったため、騒音対す苦情絶えなかった。 これら空港機能改善および騒音対策目的として東方海面埋め立て空港施設移設拡張するという沖合展開事業(通称: 沖展)が計画された。1971年5月には既に航空局内部に「東京国際空港拡張計画作成委員会」が設置されていたが、革新知事として知られる当時東京都知事である美濃部亮吉羽田拡張反対して国内線専用とすることを主張し地元では拡張どころか羽田からの空港移転主張する声さえあった。また、運輸省内部でも「羽田拡張すれば、成田不要」と主張する成田空港反対派刺激したくないとの判断働き調査開始から10年余り停滞があった。しかし、増大続け航空需要背景に、鈴木俊一への知事交代前後して沖展調整進められ1984年1月着工した沖展不可欠な埋め立て工事は、脆弱な海底地盤により難航した。「ごみ戦争宣言」を出した美濃部都政下、沖展用地東京港浚渫土首都圏建設残土処分する残土処理場として、1975年度から土砂投棄続けられており、長年ヘドロ堆積した底なし沼状態」であったことから、重機はおろか人間も立ち入れない場所が多かった。 この場所は、含水比100パーセント上の軟弱地盤であったことから、工事関係者の間では「(羽田マヨネーズ層」と呼ばれ始め(「おしるこ層」とも)、工事関係書類使われたため学名にまでなりかけたが、後にマヨネーズ製造業者から抗議があったため名称が変更されている。対策としてチューブ集合体の板を地中深く差し込むことでを抜くペーパードレーン工法や、同じく砂の地中深く構築することでを抜くサンドドレーン工法沈下する地盤ジャッキ油圧持ち上げ空洞特殊なコンクリート固め工法などを駆使し計画から完成まで20年歳月経て完成した。 この埋め立てによって新たに生まれた広大な土地全て大田区組み込まれたことから、世田谷区長年保っていた「東京23区面積最大」という地位大田区に譲ることになった1988年には、旧C滑走路の450m東側に現A滑走路完成した1993年9月27日には、約29万平メートル延べ床面積に、24基のボーディング・ブリッジを持つ新国内線ターミナルビル(第1旅客ターミナルビル)が供用開始され、チャイナエアラインを除く全ての航空会社移転した。同ターミナル運営する日本空港ビルデングはこれにビッグバード (Big Bird) という愛称をつけたが、今日ではこれが羽田空港第1・第2旅客ターミナル総称として用いられている。また、旧ターミナルビル屋上祀られていた羽田航空神社新国内線ターミナルビル遷座穴守稲荷神社空港分社本社に返霊されることになった。尚、航空関係者からは隣り合って祀られてきた2社を別々にする事に対して反対する声もあったという。又、当初神殿ではなく神棚祀るという簡素化の案もあったが、運輸省東京空港事務所等の反対により、規模縮小する今まで通り神殿祀る形に落ち着いた。更に東京空港事務所等は新ターミナルビルでも屋上祀る事を要望していたが、こちらは実現しなかった。 2004年12月1日には、約18万平メートル延べ床面積15基のボーディング・ブリッジを持つ第2旅客ターミナルビル供用開始し全日本空輸グループ(以下「ANAグループ」)および業務提携している北海道国際航空(現・エアドゥ)の国内線業務が同ターミナル移転した12月21日には第1旅客ターミナルビル残っていた日本航空グループ(以下「JALグループ」)が、従来使用していた同ターミナルウイング加えANAグループなどが使用していた北ウイング使用開始その後2006年4月1日より、ANAグループ業務提携しているスカイネットアジア航空(現・ソラシドエア)も第2旅客ターミナル移転し2020年10月25日時点では次の通りである。 第1旅客ターミナル日本航空JALグループスカイマークスターフライヤー 第2旅客ターミナル全日本空輸ANA)、エアドゥソラシドエア ただしANA便名でもスターフライヤー運航コードシェア便第1旅客ターミナルから出発到着する。 各ターミナルシンボルカラーも、第1ターミナルJALグループコーポレートカラーである赤色第2ターミナルANAグループコーポレートカラーである青色となっている。JALグループでは広い第1ターミナル活かし国内線方面チェックイン行っている(就航路線参照)。 なおこの事業3期分かれ2013年4月の旧暫定国際線ターミナルビル跡地への第2旅客ターミナルビルピア71 - 73スポット増築竣工により終了した第1期1984年1月 - 1988年3月A滑走路移転拡張1988年7月供用開始第2期1987年9月 - 1993年8月西側地区旅客(→第1旅客)・貨物ターミナル新整備場移転新設1993年9月供用開始管制塔運輸省国土交通省航空局移転同上構内道路新設 首都高速湾岸線延伸1993年9月開通東京モノレール羽田線(現・東京モノレール羽田空港線)西旅客ターミナルビル(新)羽田空港駅(現:羽田空港第1ターミナル駅)まで延伸同上第3期1990年5月 - 2013年4月)C滑走路移転拡張1996年空の日には空港イベント一環として供用前のC滑走路一般公開された。 1997年3月27日供用開始。これ以降、2本の平行滑走路による同時離着陸可能になった(それまでの平行滑走路でも同時に離陸着陸を行うことは可能であった)。 暫定国際線旅客ターミナル1998年3月20日供用開始京急空港線羽田空港駅(現:羽田空港第1・第2ターミナル駅)まで延伸1998年11月開通B滑走路移転拡張2000年3月供用開始) 第2旅客ターミナルビル2004年12月1日供用開始東京モノレール羽田空港第2ビル駅(現:羽田空港第2ターミナル駅)まで延伸2004年12月1日開業空港連絡道路2004年12月1日供用開始) 第1旅客ターミナルビル北ウイングJALグループ利用拡張2004年12月21日開始) 第2旅客ターミナルビルピア2007年2月15日供用開始66 - 70スポット) 第2旅客ターミナルビル第4駐車場 (P4) 立体化2010年8月14日供用開始) 第2旅客ターミナルビル本館南側2010年10月13日供用開始) 第2旅客ターミナルビルピア71 - 73スポット2013年4月8日供用開始

※この「沖合展開事業」の解説は、「東京国際空港」の解説の一部です。
「沖合展開事業」を含む「東京国際空港」の記事については、「東京国際空港」の概要を参照ください。

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