沖大東島射爆場とは? わかりやすく解説

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沖大東島射爆場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 01:31 UTC 版)

沖大東島」の記事における「沖大東島射爆場」の解説

1956年4月16日沖大東島アメリカ海軍艦対地爆撃訓練及び空対地爆撃訓練を行う沖大東島射爆撃場となった利用条件としては訓練は月15日以内年間180日以内とされている。1972年沖縄返還後も基地利用継続している。なお沖縄返還後、沖大東島はいったん国有地とされたが、1937年ラサ工業払い下げられ事実確認されたため、1973年10月12日民有地訂正されている。ラサ工業には基地使用のための借地料支払われているが、1984年度借地料は3億3000万であったその後借地料公表されないようになったが、1991年北大東村当局者の推定によれば約5億円である。 1979年1月ラサ工業株式会社ラサ島リン鉱山として再開発するとともに採掘終了後石油備蓄基地とする計画策定する同年7月広島大学沖村雄二教授団長として、ラサ工業防衛施設庁合同ラサ島リン鉱石調査実施された。調査結果リン鉱石埋蔵量は約350トン推定された。そのような中でラサ工業ラサ島属す北大東村は、射爆場としての契約解除ラサ工業側への返還求めたが、日本国政府基地契約解除返還同意せず実現しなかった。沖大東島アメリカ軍射爆場として、一般人立ち入り禁止されている状況続いている。 1989年5月北大東村南大東村共同沖大東島現況ならびに漁業調査が行われ、両村の職員沖縄県議会議員3名、漁業関係者琉球大学教授ら、66名が参加した島内海鳥見られず、ラサ島鉱業所時代遺構としてはコンクリート製桟橋貯水槽残骸、そしてわずかにトロッコ敷設跡が残っている程度で、射爆場爆撃による穴や薬莢、そして不発弾見られた。その一方、島の周囲魚影が豊富で豊かな水産資源恵まれていることも把握された。 2012年 地図海図記載される名称として沖大東島南西部沖合小島岩礁)が南西小島命名された。

※この「沖大東島射爆場」の解説は、「沖大東島」の解説の一部です。
「沖大東島射爆場」を含む「沖大東島」の記事については、「沖大東島」の概要を参照ください。

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