沖大東島の開拓権獲得と取り消し
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「水谷新六」の記事における「沖大東島の開拓権獲得と取り消し」の解説
大東諸島の沖大東島は1900年9月11日に日本領編入が閣議決定され、1900年10月17日には正式に沖縄県島尻郡大東島区域の所属となった。 日本領編入に先立つ1898年9月、水谷は沖大東島を探検していた。水谷の探検目的はやはりアホウドリの羽毛採取のためであった。日本領編入後の1901年、水谷は沖縄県に沖大東島の開拓権を申請し、5月11日に許可を得た。そこで同年9月、水谷は羽毛採取事業を開始すべく労働者を率いて沖大東島へ向かったものの、船が沖縄、フィリピン方面へと流されてしまって沖大東島にたどり着けず、開拓の着手に失敗した。 開拓許可は数年間開拓に着手しない場合、取り消されることになっていた。沖縄県は1903年6月6日、水谷の沖大東島の開拓許可取り消しを決定した。
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