許可取り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 14:24 UTC 版)
両御大にリメイクの許可を取りに行ったら、全く正反対の結果になった。まず片岡千恵蔵は年齢的のもひけ時とみてか「鶴田クンならいいでしょう」と潔くバトンタッチを了承。千恵蔵が鶴田に長裃や印籠、参考資料など全部渡し「二代目をやってくれ」と頼む儀式が行われ、円満に『いれずみ判官』が製作された。しかし市川右太衛門は「退屈男は舞台、テレビでも大いにやっていきたいし映画もまだ諦めたわけではない」と難色を見せた。右太衛門が執着するのは、次男の北大路欣也に退屈男を譲りたいという希望を持っていたからと見られた。橋蔵は『恋や恋なすな恋』や『天草四郎時貞』など、興行不振が続き、ライバル・中村錦之助にかなり水を明けられている状況。橋蔵の「旗本退屈男」なら役柄にもピタリと思われ、興行的にも新鮮力があり、橋蔵自身も大乗り気だった。しかし1964年末から1965年初めにかけて、何度も右太衛門を説得したが全く取り合わず。「旗本退屈男」は題名登録していないため、使用は問題はなかったが、東映を築いた一人でもあり道義的にマズく、当時東映は年二回、明治座で東映歌舞伎をやっていて、その屋台骨を背負っていた右太衛門と橋蔵に溝ができることも懸念された。結局、右太衛門に許可は取れず、強引に割り切り、旗本退屈男の本名である"早乙女主水之介"というタイトルで映画化を決めた。後に下の名前だけを拝借し、"夢殿主水之介"という「旗本退屈男」とはキャラクターが離れた人物を造形し、本作『主水之介三番勝負』を製作した。「旗本退屈男」のトレードマークである"眉間の傷"は、美男子橋蔵のため、当然ない。タイトルは1965年春頃は『くれない颯爽剣』で、橋蔵主演のかつてのドル箱シリーズ「新吾十番勝負シリーズ」にあやかり、当初はシリーズ化を予定していた。時代劇王国の夢再びと"時代劇ルネッサンス"と吹聴した。
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