日米安全保障条約の本質の変化とは? わかりやすく解説

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日米安全保障条約の本質の変化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:35 UTC 版)

日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」の記事における「日米安全保障条約の本質の変化」の解説

日米安全保障条約時代と共に本質変化させて来た。 旧安保条約締結され当時日本の独自の防衛力事実上空白状態であり(警察予備隊創設1950年昭和25年)秋である。)、一方で既に前年1950年昭和25年)に朝鮮戦争勃発して在日米軍朝鮮半島出撃しており、アメリカ出撃拠点ともなる後方基地の安全と補給確保喫緊の課題としていた。日本側の思惑としては独自の防衛力再建するための時間的猶予がいまだ必要であり、また戦争により破壊され日本国力正常な状態に復活するまで安全保障必要な大半アメリカ委ねることで経済負担極力抑え経済復興から経済成長へと注力するのが狙いであった1953年昭和28年7月朝鮮戦争停戦した後もひきつづき冷戦構造のもとで、日本韓国中華民国台湾と共に陸軍長官ケネス・クレイボーン・ロイヤルの提唱した「封じ込め政策」に基づく反共主義の砦・防波堤として、ソ連中国・北朝鮮対峙していた。 1950年代中期になると、日本経済朝鮮戦争特需から1955年昭和30年)の神武景気入り1955年昭和30年)の主要経済指標戦前期水準回復して復興期脱した経済白書は「もはや戦後ではない」と述べ高度経済成長への移行始まった政治体制においても自由党民主党合併し自由民主党に、右派左派合併した日本社会党設立されいわゆる55年体制」が成立し安定期入った。そして1959年日本戦後初め発行した外債合衆国金融市場引受けた一方で1954年昭和29年)から1958年昭和33年)にかけて中華人民共和国中華民国台湾)の間で台湾海峡危機起こり軍事的緊張高まったまた、アメリカ政府支援して成立したゴ・ディン・ジエム大統領独裁体制下の南ベトナムでは後のベトナム戦争兆し現れていた。こうした日本アメリカ置かれ状況の変化受けて締結されたのが新安保条約である。当条約の締結前夜には反対運動展開された(安保闘争)。 新安保条約1970年昭和45年をもって当初10年固定期間が満了となり、単年毎自動更新期に突入したが、東西冷戦構造の下で条約自動的に更新され続けた一方、その意義付けは、1978年以降日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)と、その改定の形で示され実質的に対ソ・対朝鮮有事対中軍事条約へと性質変えていった。 1979年昭和54年5月アメリカ訪問した大平正芳首相は、日本の首相として初めアメリカを「同盟国」と表現した。しかし、後任鈴木善幸首相は、1981年昭和54年5月アメリカ訪問時のレーガン大統領との日米共同声明初めて「同盟」という表現入ったことについて、帰国後「軍事的意味合い持っていない」として、外務事務次官異な説明をすると激怒し伊東正義外務大臣事実上これに抗議して辞任している。日米同盟」という言葉市民権得たのは、1983年1月中曽根康弘首相によるアメリカ訪問時の共同宣言からとされる1991年平成3年12月ソビエト連邦の崩壊により冷戦終結したが、ソ連崩壊後極東アジア不安定化北朝鮮脅威中台関係不安定さ中国軍事力増強など、日本および周辺地域の平和へ脅威共同対処するため引き続き条約継続している。日本政府は、基本的価値戦略的利益共有する国がアメリカであるとし、日米安保日本外交基軸であり極東アジア安定発展寄与するものとしている。一方で日米双方において、当条約有効性歴史的存在意義についての多く議論おこなわれるようになっている2004年平成16年)度の日本防衛白書では初め中華人民共和国の軍事力に対す警戒感明記し、また米国安全保障に関する議論でも、日本対中警戒感同調する動き見られ2005年平成17年)、米大統領ジョージ・W・ブッシュ外交大きな影響を持つコンドリーザ・ライス国家安全保障問題担当大統領補佐官中国対す警戒感にじませる発言をし、日米安全保障条約本質対中軍事同盟トルコ以東地域への軍事的存在感維持為の物へと変化して来ている。 2010年平成22年1月19日米大統領バラク・オバマは、日米安保条約改定署名50周年に際して声明発表した声明では、「共通の課題に対して両国協力することは、われわれが世界関与する上で重要な一部となる」として、日米安保基盤として両国世界規模での協力必要性強調した。また「日本の安全保障対す米国の関与揺るぎない」として、「同盟21世紀向けに更新し両国結束させる友好関係と共通の目的高めよう」と呼びかけていた。また、安保改定50年にあたり日米外務防衛担当閣僚共同声明出している。 2019年6月以前から同様の発言をしていた米大統領ドナルド・トランプ日米安保条約について「もし日本攻撃されれば我々は戦う」・「我々が攻撃されても日本助ける必要が全く無い」・「(日本は)ソニーテレビで見るだけだ」などと発言した日米政府否定したものの、29日大阪にて開催されG20来日し閉幕後会見で「破棄することは全く考えてない。不平等な合意と言っている」「6カ月間、条約見直必要がある安倍晋三首相に伝えてきた」などと発言したが、菅官房長官否定した

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