新 (王朝)とは? わかりやすく解説

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/21 05:31 UTC 版)

8年 - 23年
公用語 上古漢語
首都 (常安)長安
皇帝
8年 - 23年 王莽
変遷
建国 8年
昆陽の戦い、滅亡23年
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(しん、8年 - 23年)は、中国王朝前漢外戚であった王莽が前漢最後の皇太子孺子嬰より禅譲を受けて立てた。国号の「新」は、成帝の時期に王莽が新都侯[1]に封じられたことに由来する[2]。莽新とも呼ばれる。

概要

の時代を理想とした政策を行なったが、その理想主義復古主義的な政策は当時の実情に合っておらず[3]、国内は混乱した。

また、匈奴高句麗に対して高圧的な態度を取ったためにこれらの離反を招くなど、その統治は失敗に終わり、国内には不満をもつものが多くなった。[要出典]

具体的な政策としては、古代の名称に合わせた地名や役職名の頻繁な改名、井田制の導入による小作農民のための農地国有化奴隷売買の禁止、高利貸しに対し、国家による安い金利での融資などを行った。これについては地主や高利貸し等から反発があった。

貨幣制度改革は復古主義的なものであり、五銖銭を廃止し、金銀貨に加えて布貨(鍬の形の銅貨)や貝貨・亀貨などを導入する。この幣制改革によって制度が複雑になったため経済が混乱し、私銭鋳造を認めるまでになった。財政面では専売制の強化に依拠し、この面での民衆の負担を増やした。

また、諸侯王を公に、冊封国王を侯に格下げしたことで、後者の諸国は反発し冊封から離脱する。これに対して新朝は懲罰戦争を起こし、匈奴には30万人、西南の句町国には20万人の兵を派遣し、後者では6・7割が餓死・疫病で死んだとされる。[要出典]

やがて、赤眉緑林の乱が起こり、更始帝の軍により長安を落とされて王莽は殺され、1代限りで滅んだ。

官制

『漢書』王莽伝中による。

中央官

官名 旧称[4] 備考
太師 - 四輔の一つ。
太傅 太傅 四輔の一つ。
国師 - 四輔の一つ。
国将 - 四輔の一つ。
大司馬 大司馬 三公の一つ。
大司徒 大司徒 三公 の一つ。
大司空 大司空 三公の一つ。
大司馬司允 - 九卿の一つ。新設の官で、大司馬の司卿。
大司徒司直 - 九卿の一つ。新設の官で、大司徒の司卿。
大司空司若 - 九卿の一つ。新設の官で、大司空の司卿。
羲和
→納言
大司農 九卿の一つ。
作士 大理 九卿の一つ。
秩宗 太常 九卿の一つ。
典楽 大鴻臚 九卿の一つ。
共工 少府 九卿の一つ。
予虞 水衡都尉 九卿の一つ。
司中 光禄勲 六監の一つ。
太御 太僕 六監の一つ。
太衛 衛尉 六監の一つ。
奮武 執金吾 六監の一つ。
軍正 中尉 六監の一つ。
大贅官 - 六監の一つ。新設の官。
執法 御史
王路四門 公車司馬 前漢では衛尉の属官。

地方官

官名 旧称 備考
州牧 州牧
大尹 太守
太尉 都尉
県宰 県令/県長

等級

名称
中二千石
上大夫 二千石
中大夫 比二千石
下大夫 千石
元士 六百石
命士 五百石
中士 四百石
下士 三百石
庶士 百石

都城

前漢の都であった長安を引き続き都としたが、名は「常安」に改められた[5]

常安の宮殿
名称 旧称 備考
常楽室 長楽宮
寿成室 未央宮
王路堂 前殿

皇帝

姓名 在位 元号
1 王莽 8年 - 23年 始建国 9年-13年
天鳳 14年-19年
地皇 20年-23年

参考文献

  • 漢書』王莽伝第69上・中・下

脚注

  1. ^ 新都侯国荊州南陽郡に存在する
  2. ^ 二十二史箚記』「王莽建号曰新,亦以初封新都侯故也。」
  3. ^ 新人物往来社『中国王朝四〇〇〇年史』頁30
  4. ^ 前漢末時点での官名。
  5. ^ 『漢書』王莽伝中
先代
前漢
8年 - 23年
次代
後漢

新王朝

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スウェーデン=ノルウェー」の記事における「新王朝」の解説

カール14世ヨハン (スウェーデン王)」も参照 カール13世虚弱子供がいなかった。彼は後継者アウグステンブルク家クリスチャン・アウグスト公子選び養子とした。クリスチャン・アウグストノルウェー副王と、1808年から1809年スウェーデンへの侵攻対す抵抗成功の間、ノルウェー陸軍総司令官務めてきた。公子ノルウェーでの大変な人気は、スウェーデンノルウェー獲得計画有利に働くと考えられた。加えて公子ロシア帝国スウェーデン侵攻抑え両国間の領土問題平和的に解決することに関して前向きな姿勢であった公子スウェーデン王太子として名前をカール・アウグスト変えた。しかし、王太子は、1810年5月28日急死遂げたカール13世次の後継者フランスの元帥ベルナドット選んだ養子となったベルナドット1810年11月5日三階級(Estates of the realm)の尊敬受けた。 新王太子即座にスウェーデンで最も人気がある権力者となった老王衰弱スウェーデン枢密院不和によって、政府と特に外交のほぼ全体手中に収めた。彼は当時スウェーデン保守派にとって最も敵対的な大胆な政策として、フィンランド放棄決定した。彼はロシア帝国決し自発的にフィンランド放棄しないことを察しており、仮にフィンランド再征服しても、スウェーデン恒久的にそれを保持することができないこと知っていた。しかし、ノルウェー獲得フィンランド喪失を補うことを確信していた。ベルナドットこの頃には王太子カール・ヨハンとして知られる)は反ナポレオン勢力ついていくためにフランス第一帝政忠実なデンマークを、そしてノルウェー懲罰的攻撃することがスウェーデン利益適う論じたフランス皇帝ナポレオン1世は当然ベルナドット態度不審感じたが、当初ベルナドットナポレオン命令に従っていた。1810年11月13日フランス圧力によってスウェーデン政府イギリス宣戦布告することになった。しかし同時に英国政府スペンサー・パーシヴァル内閣に、スウェーデン自由に動くことはできず、そしてこの宣戦布告単なる陽動に過ぎないということ極秘裏に報せた。しかし、ナポレオン要求次第に耐えかねるものとなり、結果的に1812年フランス軍によるポメラニア占領最高潮達したスウェーデン政府はこれに対応するために、1812年4月5日、3万人対仏大同盟のためにドイツに送るかわりにスウェーデンノルウェー獲得承諾するという内容の、サンクトペテルブルク秘密協定en)をロシアアレクサンドル1世との間に締結したナポレオン慌ててフィンランド、全ポメラニアおよびメクレンブルクスウェーデン領有認めかわりにスウェーデンロシア敵対することを要求してきた。 スウェーデン国債部分的拒否保守的な新聞条令注目されるエーレブルー議会1812年4月-8月)はスウェーデン一般的な徴兵制導入しその結果王太子彼の野心的な政策実行することができた。1812年5月には、ロシアフランスに対して全ての武力行使できるように、王太子ロシアオスマン帝国との間の和平調停行ったブカレスト条約)。そして7月18日エーレブルーでは、一方英国側ともう一方ロシアスウェーデン側の間で講和条約締結された。 これら2つ条約実質的にナポレオン対抗する新し連合の礎となった。そして1812年ロシア戦役勃発受けて1812年8月30日オーボトゥルク)で開かれたアレクサンドル1世王太子カール・ヨハンとの会議によって批准された。

※この「新王朝」の解説は、「スウェーデン=ノルウェー」の解説の一部です。
「新王朝」を含む「スウェーデン=ノルウェー」の記事については、「スウェーデン=ノルウェー」の概要を参照ください。

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