スウェーデン侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/19 05:12 UTC 版)
2月13日、スウェーデン政府は遂にオーランドに部隊を送ることを決定した。2日後、砕氷船イスブリタレン1世(英語版)と沿岸防衛船トル(英語版)、軍隊輸送船SSルネベルク(英語版)がオーランド諸島のスウェーデン側のエケロ(英語版)の埠頭についた。小部隊が内戦のフィンランド側の暴力の恐れと同様に起きているとされるロシア軍の不当行為から人々を守る目的でオーランドに上陸した。白軍は誤ってスウェーデン軍が併合しに来たと考えた。このことに勇気づけられて、白軍はボクソ(英語版)とサゴ(英語版)の砲兵隊を占領したが、その代わりにスウェーデンはロシアとの交渉を開始した。 トゥルクからの赤軍(英語版)部隊150人が砕氷船ムルタヤ(英語版)に乗ってオーランドに到着すると、交渉は2月17日に停止した。意図はスウェーデン軍と白軍との当然と思われた戦闘でロシア軍を助けるものであった。同じ日、白軍はフィンストロム(英語版)のゴドビ(英語版)村を占領したが、ソ連軍はヨマラ(英語版)村とソリス(英語版)の砲台を守りきれた。2日後、赤軍はゴドビに反撃を行ったが、押し返された。ゴドビの戦い(英語版)は白軍2名、赤軍3名の死者を出して終わり、捕虜になった赤軍兵8名は、後に処刑された。オーランドで戦われたフィンランド内戦唯一の戦闘であった。 オーランドの状況が今やむき出しの暴力に発展した為に、スウェーデンはオーランドからの白軍の撤退を求める白軍のカール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム司令官による偽の命令で状況に介入した。実際マンネルヘイム将軍は白軍がオーランド諸島全域を支配することを欲していて、南西フィンランドの赤軍の首都トゥルクに対する攻撃を開始した。白軍はマンネルヘイムの本当の意図を知らなかったので、偽の命令に従い、2月20日にオーランドから撤退した。フィンランド白軍がスウェーデンの行為に気付くと、厳しく反対した。スウェーデン政府は今や目的はオーランド諸島をスウェーデンに併合することではなくオーランド諸島でスウェーデン語を話す人々を守るだけであると納得させなければならなかった。 2月19日、ヴァクスホルム沿岸砲兵連隊(英語版)を運ぶスヴェリゲ(英語版)とオスカー2世がオーランド諸島から撤退するソ連軍に圧力を掛ける為にオーランドに到着した。バルチック艦隊中央委員会(英語版)は依然紛争を回避しようとして2月22日にヴァツラフ・コロフスキイ(英語版)政治部長はソ連軍はオーランドから撤退する意思があると表明した。武装解除の命令が翌日には与えられ、フィンランドの砕氷船ムルタヤが300名のロシアのボリシェヴィキとフィンランド赤軍をトゥルクに運んだ。2月24日、G.E.ロス中佐率いる王立ゴタリヴガルデ大隊500名がエケロに上陸し、依然非武装のソ連兵が1200名いたが、3月2日までにスウェーデンはオーランド諸島全域を支配した。
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