スウェーデン・ボヘミア戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 00:43 UTC 版)
「三十年戦争」の記事における「スウェーデン・ボヘミア戦争」の解説
スウェーデンは三十年戦争の勝利を確実にするために、再びボヘミアへ侵攻する。1645年、プラハ近郊のヤンカウの戦いでまたしても皇帝軍は大敗した。この時プラハにいた皇帝フェルディナント3世は狼狽してウィーンへ逃亡したが、これはかつてのフリードリヒ5世の逃亡に酷似していたため「フェルディナントの逃亡」と揶揄された。この事件はハプスブルク家の敗北を決定的なものとし、バイエルン軍も第2次ネルトリンゲンの戦い(英語版)でフランス軍に敗れ指揮官フランツ・フォン・メルシー(英語版)を失った。マクシミリアン1世はフランスとよりを戻し、孤立したヨハン・ゲオルク1世も1645年にスウェーデンと休戦条約を締結した。
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