ばい‐か〔‐クワ〕【▽貝貨】
貝貨
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/07 19:19 UTC 版)
貝貨(ばいか[1])とは貝殻を用いた貨幣である。アジア、アフリカ、オセアニア、アメリカで使われており、特にタカラガイは豊産、繁栄、再生、富などを象徴し、キイロダカラ(Monetaria moneta)とハナビラダカラ(Monetaria annulus)が広範な地域で用いられた[2]。
注釈
- ^ タカラガイはインドシナ半島では貝貨であり、雲南の山地では晴れ着の装飾品、チベット高原では儀礼用の品、モンゴル高原ではシャーマンの儀礼の呪物などに使われた[4]。
- ^ タカラガイの形状が女性器に似ていることから、豊穣を願う儀礼などに用いられた[6]。
- ^ 商のタカラガイには南西諸島から運ばれたものが含まれているという説があるが、現在では否定されている[22][23][24]。
- ^ 被葬者の手の中や、口中などにタカラガイが置かれた[25]。
- ^ 商や周のタカラガイを貝貨とみなす説は前漢の頃にできたともいわれており、タカラガイの解釈については議論がある。前漢時代にすでに存在していた金属貨幣からさかのぼって、過去に重宝されていたタカラガイが貨幣だったと類推した可能性もある[27]。
- ^ ポーロの記録には疑問点があるため、ポーロ自身は中国に行っておらず、伝聞をもとにしているという説がある[32]。
- ^ 通常のレートでは金1サジュ=貝貨640個だったのに対して納税のレートは金1サジュ=貝貨1600個だった[34]。
- ^ 1524年には銀1両=タカラガイ7200個だったが、1647年は銀1両=56000個と下落していた[38]。
- ^ オランダ東インド会社の進出でタカラガイが西方に送られるようになった点、薩摩藩の琉球侵攻によって琉球の朝貢が滞った点などがあげられる[39]。
- ^ 貝貨の単位は、タカラガイ100個がステヤーフ、700個がファール、1200個がクッター、10万個がブストゥーと呼ばれ、4ブストゥー=金貨1枚だった[42]。
- ^ 1814年のカタックの通貨の内訳は、金貨を1とすると銀貨24、銅貨4、貝貨11となっていた[45]。
- ^ 1823年にナイジェリアを探検したヒュー・クラッパートンは、朝の牛乳1ガロンに貝貨50個、昼食のローストチキン3羽と主食に50個、使用人たちへの謝礼として総額10万個、奴隷には各2000個を与えたと書いている[51]。
- ^ こうした庶民金融は、日本では頼母子講や無尽、フランス語でトンチン、英語でロスカ(RSCAs)と呼ばれる[57]。
- ^ ビーバーの毛皮は、当時のヨーロッパで帽子に使われる人気商品だった。ヨハネス・フェルメールの絵画『兵士と笑う女』には、ビーバー毛皮の帽子をかぶる人物が描かれている[64]。
- ^ アメリカ植民地の金属貨幣不足は慢性的であり、17世紀から18世紀にかけては代用貨幣としてトウモロコシ、毛皮、小麦、米、タバコなども使われた。有名なカリフォルニア・ゴールドラッシュが起きるのは19世紀である[66]。
- ^ 1637年の法律でワムパムピーグは6個で1ペンスと定められ、1640年には白のワムパムピーグが4個で1ペンス、ブルーは2個で1ペンスと定められた[67]。
- ^ 骨や石による模造品を作ったり、白いワムパムを染色して高価に見せようとした[68]。
- ^ チュマシュとは「ビーズの貨幣を作る者」という意味を表す[69]。
- ^ 使われている貝の種類はナッサリウス・カメルス(Nassarius camelus)とナッサリウス・フラウドゥレントス(Nassarius fraudulantus)[73]。
- ^ トーライ人は、パプアニューギニアで最も伝統文化を保っている民族集団のひとつともいわれる。また、19世紀後半からのドイツ領ニューギニアの植民地支配により、パプアニューギニアで最も早くから西欧の市場経済や貨幣制度に接してきた集団でもある[74]。
- ^ ポコノより大きい単位としてアリップがあり、1アリップ=10ポコノとなる。ポコノより小さい単位には1/2ポコノにあたるパパール、1/4ポコノにあたるトゥラマリクンがある[15]。
- ^ 儀礼におけるタブの消費はポトラッチ的な示威行動の面や、社会秩序の再生産という面も持っている[75]。
- ^ キナのインフレーションのためにタブの価値が上がりつつある[80]。
- ^ アクアラ・アフはタフリアエとも呼ばれ、長さや形態によってさらに6種類に分かれる[20]。
- ^ 婚資では、アクアラ・アフ10本から20本とイサエ・ガリア20から40本が支払われる[83]。
出典
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貝貨
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 00:27 UTC 版)
楚の首都であった郢、後に遷都した陳の周辺や江蘇省一帯から貨幣が大量に発見されているが、貝の形を模して青銅で鋳造されている。貝貨は江北に在った中原諸国や秦・燕の他の六大国で造られた鋤形・刀形・円形の貨幣とは明らかに異質なため、南北間の交易は頻繁には行われず南に在った楚は独自の経済圏を形成していたと考えられている。
※この「貝貨」の解説は、「楚 (春秋)」の解説の一部です。
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