吉田健一 (英文学者)
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吉田 健一(よしだ けんいち、1912年(明治45年)4月1日 - 1977年(昭和52年)8月3日)は、日本の文芸評論家、英文学翻訳家、小説家。父は吉田茂、母・雪子は牧野伸顕(内大臣)の娘で、大久保利通の曾孫にあたる。
注釈
- ^ 当時の住所登録地が宮内省官舎だった[2]
- ^ 小さいときから工科の技師になりたいという希望を持っていた[6]。出発前にはシビル・エンジニア(土木工学)、なかでも橋梁の設計を夢に描いていたようだという[7]。
- ^ ケンブリッジではもの凄く勉強したが、そのうちホームシックにかかってしまう。それよりも、決定的に心を捉え出したのは、文士になりたいという希いであった[6]。
- ^ 伊集院淸三。吉田の母の従弟。
- ^ 『文學界』の校正場所共同印刷の食堂で顔合わせ。
- ^ 吉田と丸谷の対談「読むこと書くこと」は『吉田健一対談集成』、および『文学ときどき酒 丸谷才一対談集』(新版・中公文庫、2011年)に収録。丸谷と河上の追悼対談「吉田健一の生き方―アウトサイダーの文学と酒」も収録。
- ^ 同会の渉外部幹事ならびに出版部編集委員として活動。会誌『あるびよん』の編集委員を務める。
- ^ 同人は吉田と、大岡昇平、中村光夫、福田恆存、三島由紀夫、吉川逸治の6名。
- ^ 近代科学は一切の宗教を否定しうるか の結語に、「科学は、我々の眼の前にある通りのものであって、その手が届かない所にある宗教は、これこそ各自の個人的な問題である。何故なら、宗教は結局は信仰であって、これだけは我々が我々自身に対してさえも強いることが許されないものだからである。」と記した。
- ^ 連載題の決定は大岡信の発案による[17]。三浦雅士も関わった。
- ^ 7月14日から23日まで入院[18]。入院前に往診した聖路加病院の橘敏也医師によると、1日にギネスビール1本だけの飲酒を条件にして入院を決め、入院中吉田はそれを慈しむように飲んだという[19]。
- ^ 1951年創刊の食べもの雑誌[44]。四六判を横にした体裁が特徴[44]。吉田は毎号送られてくる同誌を楽しみにしており[44]、のちに常連執筆者の一人になった[44]。
- ^ 同社の編輯局長延原謙の依嘱によるもの[61]。
- ^ 未完の遺稿。1976年から翌77年まで『ユリイカ』に連載した最後の作品で、全12回予定だったが急逝により10回で終わる。第11章は原稿用紙5枚分が巻末に収録。
- ^ 青山民吉が巻中挿画の選出を、青山二郎が装丁監修を担当。
- ^ 『ユリイカ』1977年9月号にも、知人7名(吉田満・谷川俊太郎・中村稔・川村二郎・磯田光一・清水徹・高橋英夫)の追悼寄稿がある。
出典
- ^ 時間 2003, p. 22.
- ^ 長谷川 2014, p. 33.
- ^ 時間 2003, p. 23.
- ^ 長谷川 2014, p. 46.
- ^ a b 長谷川 2014, p. 47.
- ^ a b 吉田健一「父吉田茂と妹麻生和子を語る」『主婦之友』第35巻第10号、主婦之友社、1951年10月、87頁、大宅壮一文庫所蔵:200168989。
- ^ 楡井清「暁星の頃」『吉田健一著作集 第1巻 月報』、集英社、1978年10月、5頁。
- ^ 時間 2003, p. 35.
- ^ 「交遊録」『吉田健一集成 3 批評集III』新潮社、1993、pp142-143
- ^ a b 「交遊録」、p143
- ^ 長谷川、pp78-79
- ^ 神奈川文学振興会編『生誕一一〇年 吉田健一展 文學の樂み』展示図録. 神奈川近代文学館、2022年4月、p11。展示されたルカス宛の手紙の中に、ローマからベルリン経由でロシアへ向かい、シベリア鉄道で満洲里、釜山を経て下関へ渡り帰国する予定であることが記されている。
- ^ 対談集成 1998, p. 435.
- ^ 長谷川 2014, p. 15.
- ^ 時間 2003, p. 44.
- ^ a b c 時間 2003, p. 45.
- ^ 長谷川 2014, pp. 541–542.
- ^ 年譜『吉田健一著作集』補巻2 集英社、1981年
- ^ 橘 敏也「最優等生の患者さん」『青春と読書』第55巻、集英社、1978年8月、66頁。
- ^ 長谷川 2014, p. 642.
- ^ 大塚英良『文学者掃苔録図書館』(原書房、2015年)、p.257
- ^ 長谷川 2014, p. 645.
- ^ 長谷川 2014, p. 645-646.
- ^ a b 生誕100年最後の文士 2012, p. 18.
- ^ 生誕100年最後の文士 2012, p. 28.
- ^ 明治150年記念連載 大磯歴史語り 第46回「吉田茂【13】」 タウンニュース, 2022年5月5日閲覧
- ^ 「年譜」-『吉田健一著作集 補巻2』集英社、1981年、及び『吉田健一集成 別巻』新潮社、1994年
- ^ ふたたび 2019, p. 138-143.
- ^ a b “「戦艦大和ノ最期」新たな草稿 神奈川近代文学館で初公開”. 東京新聞. 2022年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月7日閲覧。
- ^ a b c d “特別展「生誕110年 吉田健一展 文學(ぶんがく)の樂(たのし)み」”. 神奈川近代文学館. 2022年5月7日閲覧。
- ^ “ユーモア込めた妻子への手紙 神奈川近代文学館、吉田健一展(上)”. 神奈川新聞 イマカナ (2022年4月26日). 2022年5月7日閲覧。
- ^ a b c d “吉田健一、特異な文体を生んだ生涯 初の大規模回顧展、横浜で”. 朝日新聞 好書好日 (2022年4月9日). 2022年5月7日閲覧。
- ^ “「戦艦大和ノ最期」の別バージョン原稿「巨艦送葬譜」見つかる…戦況の描写を大幅加筆”. 読売新聞オンライン. 2022年4月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月7日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』昭和32年(1957年4月19日)朝刊3頁「《きのうきょう》長崎」
- ^ ふたたび 2019, p. 15.
- ^ 『作家の犬』平凡社、2007年、68-71頁。ISBN 9784582634310。
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- ^ a b c 「おやじの遺骨胸に 悲しみ底に秘め「まだ別離の実感が…」 その日長男・健一氏の感慨」、『毎日新聞』1967年10月31日付夕刊(東京本社版)、11頁
- ^ 長谷川 2014, p. 530.
- ^ “小説家、吉田健一氏亡くなる(きょう)”. 朝日新聞夕刊: p. 1. (1995年8月3日)
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- ^ a b 長谷川、p526
- ^ 「交遊録」、pp152-153
- ^ a b c d 長谷川 2014, p. 307.
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- ^ “コトバンク 日本酒・本格焼酎・泡盛 銘柄コレクション”. 2022年5月9日閲覧。
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- ^ “小説家、吉田健一氏亡くなる(きょう)”. 朝日新聞夕刊: p. 1. (1995年8月3日)
- ^ “吉田信さん死去”. 朝日新聞夕刊: p. 17. (1996年9月14日)
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- ^ a b c d e f g h i 後藤秀機『天才と異才の日本科学史―開国からノーベル賞まで、150年の軌跡』ミネルヴァ書房、2013年、337-343頁。ISBN 978-4-623-06682-7。
- ^ a b “ご存知ですか? 8月3日は作家・吉田健一が亡くなった日です”. 文春オンライン (2017年8月3日). 2022年5月7日閲覧。
- ^ a b c 長谷川 2014, p. 495.
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- ^ ふたたび 2019, p. 14.
- ^ ふたたび 2019, p. 268.
- ^ ふたたび 2019, p. 269.
- ^ “(郷土ゆかりのほん)吉田健一「おたのしみ弁当」、群馬県”. 朝日新聞朝刊 群馬版 28面. (2014年3月25日)
- ^ 旧仮名、現行漢字表記、2段組。第一回配本は価格5000円、初版4000部で、ほどなく増刷された、“超然派の全集売れる 時代の中心性失われ個々に関心?(スペクトル)”. 朝日新聞夕刊 11面. (1993年7月10日)
- ^ a b 吉田暁子 2013, pp. 93–96.
- ^ 「第六部 三島由紀夫と六〇年安保」(ネイスン 2000, pp. 207–263)
- ^ 高橋智子「吉田健一」(事典 2000, pp. 621–622)
- ^ 「III 死の栄光――二つの事件――脅迫と告訴」(村松剛 1990, pp. 305–324)
- ^ 「第四章 時計と日本刀」(猪瀬 1999, pp. 321–449)
- ^ 「自由が丘で」加瀬亮が初の韓国撮影に持って行った、3冊の本とは?(2014年12月29日)、映画.com、2016年6月4日閲覧。
- 1 吉田健一 (英文学者)とは
- 2 吉田健一 (英文学者)の概要
- 3 人物像・エピソード
- 4 家族・親族
- 5 受賞歴
- 6 演じた俳優
- 7 外部リンク
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