日本人の教え子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 05:07 UTC 版)
英文学者の吉田健一は1930年から1931年にかけてキングス・カレッジに留学し、指導教授となったルーカスのもとで学んだ。2週間に一度ギッブス・ビルディングにあるルーカスの研究室に通い、ミルトンの『失楽園』をかわぎりに様々な英文学の講義を受けた。さらにルーカスの関心分野であるヨーロッパの文学にも目を広げていくことになった。吉田は学者になるか作家になるか迷っていたのを結局作家を選んだが、それについてはルーカスの影響が大きいと後に語っている。 吉田は戦後の1953年と1963年に渡英した際に、ルーカスに再会している。また1931年の帰国時からルーカスの晩年まで手紙のやり取りを続けていた。
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