日本人の活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/04 19:09 UTC 版)
日本は明との間に勘合貿易(朝貢貿易)を行っていたが、1523年に寧波の乱を引き起こして中断。正規の遣明船は1536年(大内義隆による派遣)まで復活しなかった。 『明実録』には1544年(嘉靖23年)8月、釈寿光を使節とする来貢船が訪れたが、十年一貢の原則に反し表文も持たないために方物を受け取らずに追い返した、しかし彼らは中国の財物を得ようとして翌1545年4月に至っても立ち去らない、とする記事がある。 『籌海図編』には王直が双嶼で許棟らと合流したのち、貢使に従って日本に赴いたとする記事がある。この時期の王直の活動(日本への鉄砲伝来にも関わる)を検討した村井章介は、この際の遣明船(全3船、種子島を経由しうち1船は沈没。派遣主体を大友義鎮と推定)は寧波で朝貢貿易を断られたのち双嶼での密貿易で利を挙げた動きを推定、日明貿易が朝貢貿易から密貿易にシフトする動きの象徴とみなし、王直をそのキーパーソンとしている。
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