日本人の挑戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 18:36 UTC 版)
1972年の凱旋門賞は、日本人にとって縁の深い開催となった。初めて凱旋門賞に挑んだ日本調教馬は1969年のスピードシンボリだったが、1972年には日本人馬主の所有馬が3頭出走した。なかでも実業家樫山純三のハードツービート(Hard to Beat)はフランスダービーをレコード勝ちした馬で、この年のフランス勢の筆頭として2.5倍の本命になった。天皇賞馬のメジロムサシは日本からフランスに転厩して参戦した。山本慎一のエリモホーク(Erimo Hawk)はアスコットゴールドカップやグッドウッドカップに勝った一流のステイヤーだったが、凱旋門賞は距離が短すぎるとみなされて人気はなかった。 スタートしてすぐに先頭を切ったのは英国ダービー馬のロベルト(Roberto)で、レコード決着だった前年よりも5秒も早い超ハイペースをつくりだした。ハードツービートは絶好の位置取りで直線に入ったが、思ったよりも伸びなかった。勝ったのは牝馬のサンサン(San San)で、勝ちタイムは前年のミルリーフと同じ2分38秒30だった。 サンサンは日本人に買われ、北海道で繁殖牝馬となった。ハードツービートは8着に敗れたが、翌年も凱旋門賞に挑んで3着になった。メジロムサシとエリモホークは着外だった。このレースに出た馬はほかにも、シャラプール(Sharapour)、プルバン(Pleben)、サンシー(Sancy)が日本に種牡馬として輸入された。
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