誕生から学生時代
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1906年9月22日、東京府東京市本郷区真砂町(現・東京都文京区本郷)で、大蔵省の官僚などを務めた神原伊三郎と夫見子の三男として生まれた。本郷小学校在学中に、第一次世界大戦終結時の株式相場の暴落によって父が破産の危機に直面したが、母のへそくりや父の同級生だった岩垂邦彦の援助もあり、成城中学校に進学することができた。中学時代はロマン・ロランやギ・ド・モーパッサンの作品を愛読する文学少年だったという。 1924年、第一早稲田高等学院に進学する。中学の同級生で『戦旗』編集長を務めた佐藤武夫と交流があったため特高にマークされる時期もあったという。高等学院卒業後は早稲田大学の理工学部に進み、応用化学科の松井元太郎の研究室で卒業研究に取り組み、スズや硫黄の融点を測定した。1930年に卒業し、同時に東京工業大学に異動した松井の下で助手として採用された。
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誕生から学生時代
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1890年12月6日、岡山県浅口郡里庄町浜中で父・仁科存生と母・津禰の四男として生まれる。3人の兄と4人の姉、1人の弟がいた。子供の頃は羊羹好きで、夜中に起きて母の津禰に作らせていたと言う。新庄尋常小学校、生石高等小学校を経て1905年、岡山県立岡山中学校に入学。在学中はテニス部に所属し、5年次には主将も務めた。1910年に首席で同校を卒業、無試験で旧制第六高等学校の工科に合格し、9月に入学した。在学中は肋膜炎に苦しみ、2年次には1年間休学して郷里で静養した。3年次には二部(工科、理科、農科)の運動部監督を務めるなどし、また特待生となっている。 1914年、首席で六高を卒業し東京帝國大学の工科大学(現・工学部)電気工学科に入学。翌年2月に岡山県出身の学生のための精義塾に入居したが、4月5日に発熱し2年次への進級を断念した。この後、芝区城山町(現・港区虎ノ門)にあった次兄の家に転居し卒業後まで過ごす。3年次の芝浦製作所での実習などを経て大学院への進学を決意する。1918年7月9日に大学を首席で卒業し、翌日から理化学研究所(理研)の研究生になるとともに大学院工科に進学し、鯨井恒太郎教授の研究室に入った。
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誕生から学生時代(1912-1934)
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1912年(明治45年)、東京千駄ヶ谷宮内省官舎に生まれた。父の茂は当時外交官としてヨーロッパにおり、母雪子も出産後茂の元へ向かったため、健一は6歳まで母方の祖父でもある牧野伸顕に預けられた。1918年(大正7年)、4月、学習院初等科に入学したが、父に随い青島へ行き、その後、1919年パリ、1920年ロンドンに赴く。ストレタム・ヒルの小学校に通う。1922年天津に移り、イギリス人小学校に通う。1923年(大正12年)、夏休みの一時帰国時に箱根に滞在。大震災の影響を免れる。1926年(大正15年)、天津の学校より暁星中学へ2年次編入、1930年(昭和5年)3月に同校を卒業し、10月、ケンブリッジ大学キングズ・カレッジに入学した。同カレッジのフェロウであるG・ロウェス・ディッキンソン、F・L・ルカスらに師事。また同カレッジの学生監ジョージ・ライランズのジョン・ダン講義などに出席。ケンブリッジ時代に、それまでもあった濫読癖が刺戟され、ウィリアム・シェイクスピアやシャルル・ボードレール、ジュール・ラフォルグなどに熱中した。しかし、自分は「日本に帰ってから文士になる積り」だが、十代の終わりの時期を「英国で文学の勉強をして過ごすことがどの程度に役に立つものが疑問に」なり、冬のある日に日本に戻ることをディッキンソンに告げた。ディッキンソンは即座に了承し、「或る種の仕事をするには自分の国の土が必要だ」と語った。そこで1931年(昭和6年)3月に中退し、帰国途中ローマに赴任していた父親を訪ねて経過を報告。その後ロシアからシベリア鉄道で日本に着いた。同年、親戚の病気見舞に行き、河上徹太郎と識り、以後河上に師事した。しばらくしてアテネ・フランセへ入り、フランス語、ギリシャ語、ラテン語を習得した。
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