誕生から塩谷家家督相続まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 16:10 UTC 版)
「塩谷孝綱」の記事における「誕生から塩谷家家督相続まで」の解説
宇都宮正綱の四男として生まれ、文明10年(1478年)1月18日、塩谷隆綱の養子となり、延徳元年(1489年)12月28日、隆綱の死とともに塩谷氏の家督を継ぐ。塩谷家は、元々宇都宮家の一門であったが、隆綱の父・教綱の謀反により宇都宮持綱が殺されて以来、関係は断絶していた。教綱も宇都宮家からの報復により殺害されているが、この養子縁組は、名目的には、隆綱に跡継ぎがなく行われたものとされているが、両家の和睦のために行われた意味合いが大きい。
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