文芸誌に寄稿(1935-1946)
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「吉田健一 (英文学者)」の記事における「文芸誌に寄稿(1935-1946)」の解説
1935年(昭和10年)6月アテネ・フランセを卒業。同年、ポーの『覚書』の訳を刊行、その後『文學界』への寄稿を始め、当初はフランス文学の翻訳やフランスの時事文化の流行紹介を行う。1937年(昭和12年)夏、中村光夫と識る。1939年(昭和14年)1月、最初の評論「ラフォルグ論」を文學界に掲載。同年7月より祖父・牧野伸顕の談話記録を「松濤閑談」の題で文藝春秋に連載。同年8月、中村光夫や山本健吉らと同人誌『批評』を創刊。1941年(昭和16年)5月、野上豊一郎・彌生子夫妻の媒酌で大島信子と結婚。同年12月より『批評』にヴァレリーの「レオナルド・ダ・ヴィンチの方法論序説」翻訳を連載。1944年(昭和19年)5月の発行で『批評』を表向き廃刊とする。1945年(昭和20年)5月に、海軍横須賀海兵団に二等主計兵として一度召集されるも、そのまま敗戦復員し福島に住む。同年10月上京。1946年(昭和20年)5月に鎌倉市に転居。7月より牧野伸顕の談話記録『回顧録』を、中村光夫と協力し文藝春秋に掲載(文藝春秋新社で出版。年譜作成は従叔父の大久保利謙。後年、中公文庫で再刊)。
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